全国にわずかに残る「泊まれる遊廓」その実態とは……

暮らし

2018/9/17

『遊郭に泊まる』(関根虎洸/新潮社)

 遊郭。たった二文字のその言葉からは、いまはなき歴史のひとこま、浮世の不条理、人の情、きらびやかな文化など、さまざまな連想がたちのぼってくるだろう。江戸時代以来、日本には一定の空間内にかぎって遊郭を許可する公娼制度があった。1958年の売春防止法施行にともない遊郭は一斉に廃止され、あるものは取り壊され、あるものはアパートや料亭、旅館などに転業した。しかし遊郭は完全に姿を消したわけではない。現在にいたるまで小説やまんが、映画、ドラマなどの中で、遊郭が語り継がれ、イメージが再生産されつづけている。

 メディアの中だけでなく、現実の世界でも遊郭はその痕跡をとどめている。本書『遊郭に泊まる』(関根虎洸/新潮社)は、かつて遊郭だった建物を転用した旅館や飲食店全20か所を、美麗なカラー写真とともに紹介する一冊だ。青森から山口まで、さらには北京や大連に残された遊郭跡までが網羅されている。どのページでも、フリーカメラマンとして活躍する著者が撮り下ろした迫力の写真に息をのみ、文章の端々からにじむその場の空気にひきこまれていくだろう。

 本書に掲載されている転業旅館(元遊郭の旅館)は、どれも個性豊かで、ひとつとして似たものはない。それは、遊郭として非日常を演出し粋を凝らすためにこだわった、独自の建築様式だけによるものではないだろう。遊郭としての営みや、遊郭が廃止されてから現在にいたるまで日々積み重ねられてきた生活の実践によって、ひとつの小宇宙とでもよぶべき空間が成立していったのだと感じられる。

 たとえば最初に紹介されている、青森県八戸市の新むつ旅館。圧倒されるのは、見開きいっぱいに広がる「魅惑のY字階段と空中回廊」だ。玄関をはいるとすぐに、天窓からの明かりに照らされた、黒光りする大きな階段とあいまみえるという。著者は「いまにも遊女たちが下りてくるのではないか、と錯覚させられる」と迫力を表現する。写真をよくよくながめると、ポスターやピアノ、カレンダー、写真立て、メダルなどが置かれており、この建物で現在どんな暮らしがあるのか、つい想像をかきたてられる。色鮮やかな着物が飾られた広間や、細くも壮観な空中回廊、遊女たちが来客祈願のために持っていたという木製の「金精様(こんせいさま)」など、元遊郭だからこそ出会える光景にもすっかり心奪われてしまった。

 遊郭は外界から隔絶された空間というイメージがあるが、本書から感じるのは、それぞれの遊郭が昔もいまも、社会のありかたと密接にかかわっていることだ。たとえば、港町で漁師を相手にした遊郭もあれば、お伊勢参りのお客を呼び込んだ遊郭、金鉱山の労働者が通った遊郭、さらにはさらに原爆の焼け野原のあとに建てたバラックからはじまった遊郭など、それぞれの地域社会の歴史の中に遊郭は埋め込まれていた。もちろん現在の社会の動きとも、転業旅館は深くかかわる。利用者の8割が外国人という旅館、若い女性から人気を集める旅館、長期滞在の労働者が拠点にする旅館など。現代社会に根づく転業旅館が、著者の観察力や取材力によってヴィヴィッドに描き出されている。

 経営者たちはそれぞれの旅館に深い思い入れをもっており、往時の資料を集め公開しているところもあるそうだ。しかし、多くの転業旅館が廃業するなか、わずかに残されたこれらの旅館も「自分の体力が持つうちは」という一念によって続けられているものがほとんどだという。これから「遊郭」はどうなるのか。転業旅館をめぐる現状からは、そんな問いが投げかけられる。

 最後に、とりわけ心を打たれた箇所を。旅館紹介の合間にある、遊郭に生まれ育った女性へのインタビュー記事だ。「文化の発信地、絢爛豪華な消費の場」「男と女の情念渦巻く場」「過酷な女性労働の場」など、こんにち遊郭はさまざまな語られ方をしている。これはある意味、遊郭を「完結した物語」として扱っているともいえるだろう。その一方で、インタビュー記事から伝わってくるのは、「遊郭とはこうである」と単純に結論づけられずにいる当事者たちの思いだ。

 転業旅館という切り口を通して、本書とともに遊郭の過去と現在に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

文=市村しるこ