ズボンがスカートだったらいいのに…12歳の少年の“ジェンダーレスな生き方”

暮らし

公開日:2018/10/1

『ぼくがスカートをはく日』(エイミ・ポロンスキー:著、西田佳子:訳/学研プラス)

「ぼくは、ただ、本物の女の子になりたい」——そう記された『ぼくがスカートをはく日』(エイミ・ポロンスキー:著、西田佳子:訳/学研プラス)は大人だけでなく、子どもにもジェンダーレスの大切さを教えられる優しい物語だ。本書は、2016年に全米図書館協会「レインボー・ブック・リスト」に選ばれた作品でもある。

 主人公のグレイソン(12歳)は、誰にも打ち明けられない秘密に苦しんでいた。実は、彼は男ではなく、女の子として人生を歩んでいきたいという願いを抱いており、その想いを誰にも悟られないように必死で隠しながら生きていた。

 両親を交通事故で亡くしたグレイソンは自分を引き取ってくれた父の兄であるエヴァンおじさんを安心させるため、どこにでもいる男の子のようにふるまう日々を送っていたが、心の中は言いようのない空虚感でいっぱいだった。

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 しかし、学校で演劇のオーディションが開催されることを知ったグレイソンは勇気を出して女神の役に立候補。自分らしく生きていくための1歩を踏み出そうとしていくのだ。

このズボンがライラやアミリアやペイジがはいているようなスカートだったらいいのに。みんなの目にも、そう見えていたらいいのに。昔は、これがスカートだと思い込みさえすれば、なにもかもうまくいったのに。

 本書内に綴られたグレイソンのこの言葉は性同一性障害で苦しんでいる人の声を代弁しているかのようだ。生まれ持った性をごく自然に受け入れている人にとっては、自分の性に疑問を持つという感覚がピンときにくい。そのため、ジェンダーレス論に関して、どこか他人事のように感じてしまったり、時には好奇の視線を向けてしまったりもするかもしれない。だが、私たちは、ありのままの自分で生きられないという苦しさや辛さを抱いている人が世界中にはたくさんいるのだということを忘れてはならないのだ。

 現代では性別間の壁が取り払われつつあるが、それはあくまでも職業などの表立った面であり、肝心なライフスタイル面ではまだまだ目に見えない壁が多くあるように感じられる。例えば、女性がボーイッシュな格好をしても好奇な視線が向けられにくいが、スカートを履いた男性を見た場合はどうだろうか。

 性別は、自分らしい生き方を楽しむためにも大切となるものだからこそ、全ての人が自分らしい人生を歩んでいけるよう、世間の人々はほんの少し優しい眼差しと性に対する理解を持っていく必要がある。目の前の相手を男性が女性かではなく、ひとりの人間として見ていけたら、性問題に悩んでいる身近な人の心を救うことができるかもしれない。

 また、性の悩みを持ち、「自分は変なのかもしれない…」と考えている方はまず、自分を責めることを止め、自分らしく生きていける場所を探してみてほしい。グレイソンのように勇気を出してカミングアウトすることに躊躇してしまう場合はLGBT問題に目を向けている団体に相談をしてみるのもよいだろう。

 性別にとらわれず自分らしく生きる権利は、誰にだってある。現在の自分に生きづらさを感じている人はグレイソンの勇気に触れ、モノクロな世界を自分の力で色づかせていってほしい。

文=古川諭香