一度何かを諦めてしまった人間が、死を意識してたどり着く「青春の続きを取り戻す」物語──『キミの忘れかたを教えて』

文芸・カルチャー

2018/11/2

『キミの忘れかたを教えて』(あまさきみりと/KADOKAWA)

 余命を宣告された人間が、そこからどう生きるか。普遍的なテーマである。人生を十分に過ごした人間が、集大成として最後に何かを成し遂げる話は気持ちがよい。だが、それが約束から逃げ、全てを投げ出し、無気力となった「人生これから」のはずの20歳ニートであったら。彼は、どう生きるのか。気にならないわけがない。

 故郷から逃げ出すように東京の大学へと進学していた松本修は、その大学も中退し、ニートとして田舎町の旅名川に戻ってきた。そこで病気を発症し、余命半年から一年と宣告される。別に──いつ死んでもいい。引きこもりとして実家で過ごす修。だが、狭い田舎町では周囲からの干渉を遮断することも出来ず、昔からの悪友である豊臣正清(とよとみまさきよ)によって連れまわされてしまう。廃校が決まった母校の中学を訪れる事となり、そこで幼馴染の桐山鞘音(きりやまさやね)と再会する。天才的な才能を持つ歌手として都会で活躍しており故郷にいないはずの鞘音と、その彼女との約束から逃げ出し故郷を捨てたはずの修。残された人生のロスタイムがはじまる──。

 『キミの忘れかたを教えて』(あまさきみりと/KADOKAWA)は、再会した幼馴染が思春期に止めてしまった青春を再構築する恋愛物語だ。そして同時に、自らに才能を見出せず逃げ続けた男と、才能に恵まれ飛躍した女が、自らの生きる意味を取り戻す物語である。切実な状況における焦燥感と、それを優しく包み込む暖かさや切なさの描写が巧みで、既に多くの読者から高い共感を得ている。

 本作の凄味は、主人公である修が文字通りに「命すら諦めている」最底辺からはじまるところだ。手術をしても五年後の生存率は三割。青春から逃げたゴミクズの末路などそんなものと諦観している。再会した鞘音からの言葉も、その現実を裏付ける。

「……はぁ、変わってないのね。その場凌しのぎで楽なほうに逃げていたら、いつの間にか底辺に落ちていたってところでしょ。違うならしっかり反論して?」
「くだらない……本当に無意味で中身のない人生ね」

 だが、その先に続く言葉が、見逃せない。

「逃げ続けているゴミクズ男が大好きなの、わたしは」

 互いに素直になれないまま過去を引きずり続ける関係は、これが東京の大学や職場での物語ならすれ違ったまま時間切れで終わっていたかもしれない。だが、地方の田舎町ならではの「他人との距離の近さ」が、それを許さず二人を突き動かす。

 町で生まれ、恋愛結婚出産をし、夫と死に別れ、女手一つで修を育てる母親の依夜莉(いより)。子供の頃は「よく遊んでくれるお兄ちゃん」だった元ヤンキーのトミさん。シンガーとして大成する夢を捨て、元ヤンキーとの幸せを選んだ外国人のエミ姉に、個性的な見た目と言動で田舎町では少し浮いてしまっているハーフの少女・リーゼ。さらには数十年に渡り町の子供を見守り続けてきた中学の教頭など、彼らは驚くほど自然に修の生活に踏み込んでくる。同じ町で生まれ育ったというだけで、手を差し伸べ、助け合う人々。その暖かさが、修の諦めを少しずつ剥がしていく。

今からでも間に合うのかな。ヒキニート男が足搔いても無様かもしれないけど、たった一度だけ、一つのことに本気で熱中して、トミさんや地元の微力になれるなら。

 その変化は、鞘音と向き合う原動力としても作用する。

「待ってろよ……鞘音」
 あいつに見せてやる。ゴミの人生は、最後に燃えて終わるんだということを。燃え尽きる瞬間くらい、この世の誰よりも光り輝きながら散ってやる。

 そして、かつて修が逃げ出した、青春を止めてしまった原因と向き合う二人。

「ねえ、教えてよ……」
「あなたと夢見た幻想の……忘れ方を教えて」

 過去はなかったことに出来ない。それでも、もう一度何かを作り直す事は可能だ。青春にやり直しはないが、ロスタイムは──ある。

 二人がたどり着く答えと、進行する修の病状。そのタイムリミットは、単純な恋愛小説で片付けるには深すぎる「人が生きる意味」に彩られる。

 人は間違える。後悔して逃げ出す。だが、それで終わりではない。そして青春や恋愛とは男女の関係だけで完結するものではなく、誰かが誰かのために生きる意味のつながりの先に広がっている。一冊の物語として深い感動と納得を与えてくれる本作は、まだ物語のプロローグでもある。答えを出したその先が描かれるのなら、是非とも見届けたい。

文=榎元敦