「必ず死んでこい」――絶対命令に背き、9度の出撃から生還した“不死身の特攻隊員”

マンガ

更新日:2018/11/26

『不死身の特攻兵 生キトシ生ケル者タチヘ』(鴻上尚史:原作、東直樹:漫画/講談社)

 現在、週刊ヤングマガジンで連載中『不死身の特攻兵 生キトシ生ケル者タチヘ』(鴻上尚史:原作、東直樹:漫画/講談社)の、コミック第1巻が発売された。

 この物語の主人公は、第二次世界大戦中の旧日本陸軍に実在した戦闘機操縦士で、特別攻撃隊(特攻隊)「万朶隊(ばんだたい)」、唯一の生存者となった故・佐々木友次氏(1923年6月~2016年2月、享年92)だ。

 ひとたび出撃したら機体もろとも敵軍艦に突っ込む、玉砕必至の特攻隊員。なのになぜ、佐々木氏は大戦を生き延びられたのか? しかも、出撃の機会が無かったのではない。もっと言えば、なんと佐々木氏は9度も、「お国のために、立派に死んでこい」と見送られて特攻出撃をしていたのだ。

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 いったい、どんな神風が佐々木氏の身に吹いたのか? あるいは、敵前逃亡を繰り返していたのか…?

飛行機に「乗ること」ではなく「なること」を夢見た青年

 本書の原作者で劇作家の鴻上尚史氏は、この佐々木氏の数奇な運命の真相を確かめるべく、生前の氏に話を聞くことを決意する。当初、「ほかの隊員の名誉のためにも、話すことは何もない」と再三、面会を拒否した佐々木氏だったが、最終的には鴻上氏の熱意に根負けし、自身の身に起こったことを遂に明かす。

 その内容をまとめたのが、鴻上氏が昨年上梓した著書『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)であり、本書はそのコミカライズ作品となる。

 巻頭ではまず、幼少期から青年期にかけての佐々木氏が描かれる。子どもの頃から家の屋根に上っては、空を舞うことをひたすら夢想し、飛行機操縦士に憧れる佐々木少年。時は第二次大戦下勃発から3年経った1944年、21歳になった佐々木氏は、陸軍航空隊へ配属されるや、喜び勇んで訓練飛行に明け暮れる。

 戦時下とはいえ、夢が実現し、嬉々として相棒の「九九式双発軽爆撃機」(通称、キンギョ)を操る佐々木氏の日々が、東直樹氏の精緻なタッチで活写されていく。

ボクは飛行機の乗りたかったんじゃない。ボクが飛行機になりたかったんだ!!

 相棒のキンギョが、まるで自身の手足のごとく自在に操れるようになった際、佐々木氏はこう気づいたそうだ。

「飛行機になりたかった」とは、一体どういうことなのか? 含みを残したシーンが描かれつつ、話は思わぬ方向に展開していく。

陸軍初の特攻部隊、第1期「万朶隊」のメンバーとなって

 同隊屈指の名操縦士に成長した佐々木氏が、いよいよ初めて実戦の場へ向かう日が近づく。本書後半からは、尊敬する上官、岩本益臣大尉がリーダーを務める部隊が戦地のフィリピンへと向かうその道中が描かれていく。もちろん佐々木氏もメンバーのひとりだ。

 彼らこそが、じつは陸軍初の特攻部隊、第1期「万朶隊」であることを知っているのは、まだ岩本大尉だけだった。

 その真実が全隊員に伝えられたのは、各隊員に一機ずつの専用機が渡される国内飛行場でのこと。与えられたキンギョの形状の異様さに、全員が驚いた。

 本来、キンギョの先端からは機銃が1本出ているだけだ。しかし与えられたキンギョの先端に機銃はなく、代わりに長い3本の槍のようなものが突き出ていた。それはキンギョが搭載した爆弾を破裂させるスイッチ。つまり、与えられたのは攻撃機ではなく、特攻機だった。

 なぜいきなり特攻なんだ? もう、親にも会えないのか? ボクがなりたかったのは、特攻するための飛行機なんかじゃない!

 隊員それぞれの胸に、様々な思いが去来する──。

 本書によれば、航空特攻による戦死者数の合計は3948名である。その多くが19歳、20歳などの若い世代だ。彼らはいったいどんな思いで、最期の瞬間までを過ごしたのか。本書で、先人たちが辿らざるを得なかった運命に、思いを馳せてみてはいかがだろうか。

 また、佐々木氏の生還とは、先の大戦のどんな真実を私たちに伝えてくれるのか、ぜひ、この物語の行く末に注目してみてほしい。

文=町田光