SM好きを公言、妻への異常なまでの愛情…『変態紳士』高嶋政宏が語る“人生”

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公開日:2018/12/17

『変態紳士』(高嶋政宏/ぶんか社)

「変態には近づいてはいけない」とか「変態にはなってはいけない」というのが世間一般の常識である。しかし、「変態」と「変態じゃない人」の違いはなんだ?と聞かれたら、はっきりと回答できる人はそれほど多くない。

 価値観が多様化している昨今、「良い・悪い」という単純な二元論ではなく、「みんな違って、みんないい」的なノリですべてOKという風潮が出てきた。しかも、「ダイバーシティ」(diversity、多様化)という言葉が一般に使われるようになった。こんなご時世に「変態はダメだ」なんて言うのはナンセンス以外の何物でもないだろう。

 そこで本記事で紹介するのは、『変態紳士』(高嶋政宏/ぶんか社)である。変態な紳士のお話。かの芸能一家・高嶋家のお兄ちゃんが執筆した作品だ(※高は正しくははしごだか)

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 この著者はこれまでは芸能界で「真面目キャラ」で通ってきた。品行方正で誰にでも親切・丁寧。演技もうまい。非の打ちどころのない人物…だと思われてきた。しかし、実は「変態」だったのだ。

「変態」と一言で表現しても、漠然としている。この本の中での「変態」は、好きなことを徹底的に追求することのように書かれている。追求の仕方がえげつなく、しかもちょっとズレた感じが変態っぽい。そんな意味合いで使われているのだ。

高嶋政宏はとにかくまじめだ。大まじめに度が過ぎている。まっすぐに異常だ

 SMの他、音楽、グルメ、スピリチュアル、妻というように、バラエティに富んだジャンルで変態っぷりを露呈している。こんなに赤裸々に書いてしまって大丈夫なのだろうかと思うほど詳細に書かれているところも、まっすぐに異常を突き詰めようとする「変態」ゆえのサービス精神なのだろう。

 本の内容は、著者がある舞台で演技をしているときに、ふと観客から自分が見られていないことに気付くところから始まる。

自意識過剰になるな。どんなにカッコつけても、誰も僕なんかに注目していない

 これに気付いてから、著者は自分が面白いと思うことは全部やってやると開き直った。意外と自分のことは誰も見ていないものである。そして、「変態」になったのである。著者が「変態」をさらけ出していく様子は、自由になっていく軌跡でもある。

 この本を読んでいると元気になる。いつでも好きなときに好きなことをやる勇気をもらえる。本当に好きなことに気付くのに年齢は関係ないと断言しているのだ。

僕はついに長年潜在的に求めていた「これだ」と思うものに出会えた。確かに出会いは遅かったかもしれない。でも、物事をはじめるのに、早いも遅いもないんです!

「やりたいことが見つからない」とボヤく人をたまに見かけるが、やりたいことが見つかるタイミングは人それぞれ。幼少期に見つかる人もいれば、著者のように中年以降に「これだ!」と見つかることもある。あせることはない。ある日突然それはやってくるのであるから。むしろ、この気付きはある程度の年齢にならないと得られないことかもしれない。

 事実、著者は2002年にも出版している。さわやかさを前面に出した良い感じの本ではあるが、一般的なエッセイ集であった。しかし、『変態紳士』は、50歳を過ぎて熟成した大人の幅ともいうべきものが匂い立つ作品に仕上がっている。あさっての方向に鋭く尖った世界観が、間違いなく世間の度肝を抜くだろう。しかも表紙はヒゲボーボーの著者が裸に首輪をしているというインパクトである。

 当たれば必殺、外れたらドボンという「売れたら嬉しいけど、売れなくてもまあいいや」という意気込みが感じられ、なんでも楽しんでやろうという達観した人生観がこの本の根底にある。

 年を取るのも悪くないと思わせてくれる名著である。屈折した青春を歩んできた者だけがまとうことが許される、円熟した大人の味を堪能できるはずだ。

文=長沼良和