狂っているのは、世界の方だ。 グロテスクで美しい異類婚姻譚「沙耶の唄」

文芸・カルチャー

公開日:2019/2/9

『沙耶の唄』(大槻涼樹・虚淵 玄/講談社)

 2003年12月にニトロプラスから発売されたPCゲーム「沙耶の唄」が、15周年を記念してノベライズシリーズを刊行し、発売1カ月足らずで重版がかかる異例の人気となっている。

『沙耶の唄』(大槻涼樹・虚淵 玄/講談社)の原作は、アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」や「PSYCHO-PASS サイコパス」などの脚本を担当したシナリオライター・虚淵玄氏が、手がけたサスペンスホラーアドベンチャーゲーム。

 PCゲームとしては短編程度のボリュームであり、純愛ものと称しながら独自の猟奇的、倒錯的な世界観でユーザーの心胆を寒からしめた伝説の名作だ。

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 主人公の大学生・匂坂郁紀は、交通事故の後遺症で世界のすべてが醜く蠢く肉塊に見えるという認識障害に陥る。そんな郁紀の前に美しい少女の姿をした謎の存在・沙耶が現れる。沙耶と恋に落ちた郁紀は、世界を敵に回す純愛にその身を捧げる。

 かつての親友すら醜悪な異形に変容して嫌悪感を抱くようになり、社会と乖離して狂気に苛まれていく郁紀は、唯一人間の姿をした沙耶を愛することで、かろうじて心の安定を保つようになる。

 ヒロインの沙耶は、世間知らずで清楚な美少女。彼女もまた郁紀を愛し、傷ついた彼を必死に支えようとするが、美醜の認識が逆転した郁紀が美しいと感じられる沙耶の本当の容姿は、つまり…。

 周囲を拒絶した2人は汚濁と腐臭の漂う自宅で退廃した同棲生活を過ごす。その悪夢のような理想郷に不用意に近づいた者は、ことごとく無残な結末を迎えていく。最後の一線を越えてしまった2人が、罪悪感もなく殺戮に手を染めていく光景に背筋が凍る。

 はたして沙耶の正体とは。真実に迫るほど、深く暗い奈落に誘い込まれていくようで生きた心地がしない。

 客観的に見れば、周囲を巻き込んで破滅へと突き進む郁紀と沙耶の言動はおぞましく、身の毛もよだつ悪意と醜悪さに満ちている。だが、彼らの行動の根底にあるのは、お互いへの献身と純愛であり、未来への希望に溢れているのだ。

 なぜこの作品が長い年月にわたってファンの心を魅了し、共感を呼んでいるのか。

 その理由のひとつは、誰もが感じる孤独だ。ときに私たちは何かひとつの物事に熱中し、執着してしまうことがある。この自分でも抑えきれない情動は、なかなか他人に理解されない。そんな孤独感をまとった偏愛を、この作品は肯定しているのだ。

 ほんの少し見方を変えるだけで、日常はひっくり返る。美醜や好悪の価値観は、はりぼてのように脆く、頼りないものだ。そして醜さというのは、それだけで嫌われて世界から排除される弱さを抱えている。この弱さに、儚さや尊さ、哀れみを見出して愛でる感性も、また人間らしいといえるだろう。

 続編ノベライズとなる『沙耶の唄 第二歌 ノゾミノセカイ(仮)』も2019年内に発売予定となっている。かつてゲーム版を嗜んだという方だけでなく、今回初めて知ったという方も、この妖しくも美しい『沙耶の唄』の世界に触れてみてはいかがだろうか。

文=愛咲優詩