事件“被害者”が叩かれる本当のワケ。「自己責任論」のメカニズムとは?

社会

2019/2/24

一億総他責社会』(片田珠美/イースト・プレス)

「人はみな平等だ」「努力は必ず報われる」…それは果たして本当だろうか?

 もちろん、人は差別されずに平等に扱われる権利がある。けれども、あなたはこう思ったことはないだろうか? 「同じ努力をしても、あの人のほうが物事をうまくこなせるのはなぜ?」「なぜあの子ばかりが可愛いの?」「がんばっても夢が叶わない人もいるのでは?」。

『一億総他責社会』(イースト・プレス)の著者・片田珠美氏は精神科医。臨床経験に基づいて犯罪心理や心の病の構造を分析し、社会問題にも広く目を向けている。本書は、他人の幸福や活躍が我慢できず「自分だけがつらい」と訴える人の深層心理を暴くものだ。

■なぜ事件の被害者が必要以上に叩かれるのか?

「この世は不公平だ」「努力はどうせ報われない」といった気持ちは、どこから生まれるのだろうか?

 実は、我々日本人は「自由」を獲得したからこそそう思うのだという。豊かな国で、平等な扱いを受け、自由に生きることを許されている。「自由にできるからこそ、責任は自分で取るべき」となり、近年ではことさら「自己責任論」が唱えられるようになった。

 その「自己責任論」が、ある弊害を生んでいる。たとえば、海外取材中に人質となってしまったジャーナリストや、夜中に子どもだけで出歩いたため誘拐されてしまったり、不審そうな人物のもとへ自ら会いに行き事件に巻き込まれてしまったりした被害者へ向けられる言葉が、「自己責任」だ。その考え方は、私たちを含む社会全体の行動にも当てはめられるのである。

 自由を手に入れたからこそ、自分の落ち度や、人との差異が気になる。無力な自分を必要以上に責めてしまう。さらには、その鬱憤を著名人の言動を叩くことで解消しようとする。

 インターネットでは自分の顔は相手に見えない。表立って悪口を言うのは自分の評価を下げてしまい気がひけるが、羨むような成功をしていたり不祥事を起こしたりした人を“匿名で”叩くことはできる。だが、それで自分の不満が解消されることはないだろう。やはり、元々何でも上手にできるという人もいる。また、健全で裕福な家庭とそうでないところで育つ人という環境の違いもある。才能や環境、それらは運であり、必ずしも公平とは言えないのだ。

 現代では、結婚の仲介人を、近所の世話焼きおばさんや、しがらみがあってもなくても上司に頼むということは少ない。神頼みも減り、連帯責任の強かった体制も古いものとなっている。「自己責任」がますます重くなった時代だからこそ、その責任に自分が耐えられなくなり、人のせいにしようとする。あるいは、人の失敗を、「自己責任だろう」と糾弾したくなるのだ。

■「自己責任論」に飲み込まれないための処方箋は?

 自分を追い詰めすぎる「自己責任論」は、苦しい感情を生む。公平な環境だからこそ、目につく不公平が気になるのだ。

 だがそこにはささやかな処方箋があるという。それは、「公平さを望みすぎるな」「他人と比べるな」の2つである。

 不公平というものは現実に存在するのだ、と心得る。「何でも公平なはずなのに」と思い込むから、生きづらくなるのだ。自分が優位な分野もあれば、そうでないものもあって当然だ。

 そして、他人と比べず「過去の自分」と比べることも大切だという。他人と比べると、その人の良い点ばかりが見えてしまい、劣等感を払拭するために今度は悪い点を探そうとしてしまう。だがそれは、己の精神衛生面を悪くしてしまう。「不平等」は、社会にあって当然のもの。

 もしあなたが今、社会で生きるということに行き詰まりを感じているとしたら、それは世間の「平等」に染まりすぎているせいかもしれない。過剰な自己責任論に飲み込まれてしまう前に、一度見直してみよう。

文=ジョセート