「罰せられても覚悟の上」性転換手術回数は600件以上 “ペニスカッター”医師の生涯

社会

2019/3/2

『ペニスカッター 性同一性障害を救った医師の物語』(和田耕治、深町久美子/方丈社)

「ペニスカッター」という衝撃的なタイトルの本。それは生涯で多くの性転換手術(性別適合手術)をおこなった医師・和田耕治氏の話である。現在タレントとして大活躍しているAさんもかつて和田氏の診察を受け、和田氏の初めての性転換手術の患者となった。2007年、和田氏は50代で突然の死を迎える。Aさんは「これからやっと恩返しできると思っていた矢先だったのに…」と残念がり、ニューハーフたちの献花が後を絶たなかった。

『ペニスカッター 性同一性障害を救った医師の物語』(和田耕治、深町久美子/方丈社)は、和田氏の妻が彼の残した記録をもとに執筆した1冊。ニューハーフたちから慕われた人柄、医師としての信念、起こってしまった医療事故…といった和田氏の生涯を、彼女の所感とともに記している。

 かつて、日本では性転換手術がタブー視されていた。その手術を求める者たちの多くが、術後のケアを受けにくい海外の病院に足を運んでいた。日本精神神経学会が「性同一性障害に関する答申と提言」を発表したのは1997年のことだった。

 和田氏が浪人生だった1970代半ば、彼は夜通しゲームセンターで働いていた。そこには多くの女装男性が夜ごと通っていた。そこで彼は、女性になりたい男性たちに親しみを持つことができた。その後、美容整形外科医として働き、1995年に初めて性転換手術を行なった相手が、当時ショーパブで働いていたAさんだった。和田氏は日本精神神経学会が定めたガイドラインに束縛されず、学界や社会からは異端児として見られながら、その生涯で性転換手術を600件以上こなしたという。

 彼は、ニューハーフたちに慕われ「赤ひげ先生」と呼ばれた。ショーパブでは、席に座っている和田氏をニューハーフが指差し「月に1回はあの先生にアソコを診てもらっているのよ」と笑いを誘っていた。

 彼は、こんな言葉を残した。

医療は誰のためのものでしょうか? 極論を言えば、私は患者一人一人の苦しみからの救済、手助けのためのものであって、国や法律や宗教などは関係ないと思っています。(中略)「法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい・たとえ罰せられても医師として覚悟の上だ・国や法律ができる前から医療は存在しているんだ」というのが私の信念です。

 2002年、和田氏が行った手術で2つの大事件が起こった。1月に、あごの骨を削る美容整形手術を受けた女性が、術後に別の病院で死亡した。2月には、性転換手術を受けた男性が、こちらも別の病院で死亡した。司法解剖の結果、どちらの死因も不明に終わった。和田氏は積極的に捜査に協力し、死因について考察をし、手術が順調に進んでいたことも述べた。しかし結果的に、和田氏は2005年6月に書類送検された。

 それでも変わらず彼を慕う者たちは多くいた。彼は性同一性障害を抱える者たちをよく理解し、多くの体と心を救ってきた。入念なカウンセリングをし、強い信念をもって精力的に医療に取り組むその姿を、彼女たちは見ていたのだ。和田氏は、2007年に突然死した。彼は死の直前、自身に麻酔薬物を使用していた。その摂取による事故とされていたが、致死量であるという証拠は不十分だった。検視の結果は「不眠症による過労死」であった。「自殺だったのではないか」と周囲からの憶測を受けたが、それは彼にしかわからないことだと妻は言う。

 亡くなってしまった今でも、和田氏を慕う人が多くいるという。彼は最後まで社会や体制に立ち向かっていた。彼が残した功績は大きく、彼のやり方を受け継いでいこうとする動きもある。和田氏の残した大きな志をもとに、性同一性障害に悩む者たちへの医療がこれからも発展していくことだろう。

文=ジョセート