『コクリコ坂から』のあの歌声…! 不朽の名作と手嶌葵による朗読コラボレーションが実現! きっかけは?

文芸・カルチャー

2019/4/3

 何もかもが初めてづくしだった幼い頃、世界は新鮮な驚きに満ちていた。色も、音も、においも、すべてが“ここではないどこか”へ誘ってくれる舟のような存在だった。そんな、いつしか忘れてしまった心の旅を呼び覚ましてくれる竹下文子さんのショートショート・ファンタジー『風町通信』と『木苺通信』(ポプラ文庫ピュアフル)。

 初刊行はともに1980年代だが、長年にわたるファンの強い要望に応え、初見寧さんのやわらかく幻想的な挿画とともに復刊し、ポプラ文庫ファンのあいだでも人気を呼んでいる。そんな同2作を新たに推す強力な助っ人が登場した。歌手の手嶌葵さんだ。

 手嶌さんといえば『ゲド戦記』の「テルーの唄」、『コクリコ坂から』の「さよならの夏」などジブリ作品のテーマソングでも知られるとおり、異界の扉を開くような透明感のある声が特徴。その声で竹下文子作品の美しい文章を読み上げてもらえたらどんなに素敵だろうと動いたのが、版元であるポプラ社の新入社員・M氏。

「働き始めて、読書が仕事になりました。楽しい反面、本を開けばそこが仕事場になってしまう息苦しさ…。そんな中、この作品はたった5ページ程度で仕事から一番遠い場所へ私を連れて行ってくれました」と竹下文子作品を絶賛するM氏は、作品を通じて改めて「この文字と紙の束に人生をかけてやろうという覚悟」を抱いたという。

 そんな、一新入社員の猛烈な熱意によって、手嶌さんによる初の「朗読PV」を実現させたのだ。

 実は手嶌さん、「いつか本のお仕事をしたい」と熱望していたほどの大の読書家。好きな作品は『秘密の花園』(フランシス・ホジソン バーネット)だというが、蔦に隠された扉の向こうに広がる荒れ果てた庭園をよみがえらせ、美しい薔薇を咲かせる同作の世界観は、確かに竹下作品に通じるものがあり、両者の結びつきに目を付けたのは新入社員の慧眼ともいえるだろう。

小鳥のように軽やかな声をしたその人は、日だまりに草色のテーブルクロスをふわりとひろげ、楽しそうにお茶のしたくをしている(『木苺通信』より)

 どこか懐かしくて、あたたかい。けれど30年たった今も決して古びない、瑞々しさ。その文体が生み出す風景は、『秘密の花園』、そして手嶌さんの歌声が生み出すものと近い。

 誰でも、どこからでも訪れることができるけど、どこにあるかは誰も知らない「風町」が舞台の『風町通信』。木苺谷に住む「私」と狼のトプがうつりゆく四季を旅する『木苺通信』。2作のうち、手嶌さんが朗読したのは『木苺通信』から「焚火においで」。わずか6ページの物語だが、ぱちぱちと焚火の音をはさみながら静謐に語られるのを聴くうちに、ふと“ここではないどこか”――木苺谷や風町の片隅に自分も立っているかのような錯覚に陥ってしまう。

〈葵さんの声は静かな森に棲んでいる〉。著者の竹下さんが朗読に寄せたコメントだ。〈しんと冷たい夕暮れに、見覚えのある小道をたどって行けば、小さな家が見えてくる。窓には温かな色の灯がともり、テーブルには読みかけの本。ストーブの上には湯気の立つスープの鍋。振り向いて、ふんわりと花が咲くように微笑み、「おかえりなさい」と……。その声が聞きたくて、人は森を訪れる〉。

 この言葉からもわかるように、手嶌さんの朗読はそれだけで一つの物語。

 映像作家の実兄・手嶌俊輔氏の手で制作された今回の朗読PVは、手嶌さんにとっても思い入れの強い一作。手嶌さんの声に誘われ、本を開き、五感で物語を体感すれば、木苺谷や風町につながるあなただけの扉がきっと開くはずだ。

文=立花もも