借金や浮気の言い訳が壮絶! 窮地の文豪たちが筆力を駆使して書き上げた仰天言い訳集

文芸・カルチャー

2019/5/7

『すごい言い訳!』(中川越/新潮社)

 政治家の舌禍事件は、時期を問わず何かと話題になる。政治家はメディアの前にさらされ、当然釈明に追われることになるが、その内容たるや、「熱が入ってしまった」とか「事実でなかった」などお粗末なものばかりだ。どうせなら、日本が誇る文豪たちのような機知に富んだ「言い訳」をしてみたら、逆に評価が上がるかもしれない。

『すごい言い訳!』(中川越/新潮社)は、文豪たちが公私にわたりしたためた“弁明の書簡”を集めた1冊である。教科書にも載るほどの大家たちが、私生活や仕事での失敗を誤魔化したり窮地を脱しようとしたりするために、己の筆力を駆使して書き上げた珠玉の言い訳。これらは決して教科書には載ることはないが、文豪たちの人間性を身近に感じられ、文学ファンでなくとも興味を惹かれるだろう。本稿ではとりわけ印象に残ったエピソードを紹介してみたい。

石川啄木が借金を申し込んだ時の言い訳は?

 貧困にあえぎながらも、人々の心をとらえ続けた歌人の石川啄木だが、実はしたたかな一面もあったようだ。明治37年12月、啄木18歳の時、4歳年上で親友の言語学者・金田一京助に借金の依頼をする。原文は明治の文体でいささか読みづらいので、著者による要約を引用する。

<雑誌『太陽』の編集者から、原稿が〆切に遅れたので支払いも一月末になると知らされ、時代思潮社からの稿料も遅れると通知があり、誤算だらけだ。それでも自分は呑気だが、大家は家賃が取れずに困るし、私は実家を援助できずに困っている。まさに絶体絶命。一月には自分の詩集が出版され、執筆中の小説で百円ぐらいは取れる予定だから、申し訳ないが十五円貸してくれないだろうか>

 いかにも啄木の窮状を感じられる文面だが、実はこの時には雑誌社から稿料を貰う予定も、詩集の出版予定もなく、事実は実家の窮状だけだったという有り様。ここまで堂々と嘘を書きながらも、「自分は呑気だ」と書くなどユーモラスな印象もあって、なんだか憎めない。かと思うと、
「何となく、自分を嘘のかたまりの如く思ひて、目をばつぶれる」(歌集『悲しき玩具』より)
とも歌っているのだから、やはり図々しいというべきか…?

■『放浪記』の林芙美子は、愛の放浪者?

 情熱的な女性の生き様を描いた小説『放浪記』で知られる林芙美子だが、私生活も実に情熱的だったようである。既に人気作家となっていた昭和6年27歳の時、創作意欲の刺激を求めると言い、単身パリへ旅立つ。そこから夫・手塚緑敏(まさはる)にこんな手紙を出している。なお文中の「りょく」とは、緑敏の愛称だ。原文のままで引用する。

<帰えったら、どのようにしてりょくを愛撫してやろうかと空想している。私がいかにケンコウに、いかにセイケツな生活しているかを写真でおめにかける。帰えったら、首ッ玉へかじりついてやろう。私も十一月出たきり、リョクさんが恋いしい。>

「リア充自慢?」とも思ったが、実はそれどころの話じゃなかった。芙美子のパリ外遊の目的は、恋人の画家・外山五郎を追いかけてのことだと言われている。それに気づいていた緑敏は芙美子に、外山に捨てられると忠告したようだ。案の定、芙美子は外山に冷たくあしらわれるが、それにまったく臆することもなく前述の手紙をしたためる。『放浪記』で見せた、世間の枠にとらわれない奔放な情熱は、結婚後も続いていたのだ。

 言い訳なんてしない方が良いのは当然である。だが本書は石川啄木や林芙美子以外にも多くの名だたる文豪たちの言い訳が収められており、そのどれもが伊達や酔狂だけで書かれたものではない。文豪たちがその文才を駆使してしたためた以上、それは魂の叫びにも聞こえる。小生もどうせ言い訳するのなら、物書きの端くれとして恥ずかしくない一文を書きたいものである。…いや、やっぱり言い訳しないで済むように努めることが大切か。

文=犬山しんのすけ