『トリニティ』女に必要なものを3つ選べる? 「男、仕事、結婚、子ども」それぞれを選んだ女性は…

文芸・カルチャー

更新日:2019/7/17

『トリニティ』(窪美澄/新潮社)

『トリニティ』(窪美澄/新潮社)という作品を、岐路に立つ前に読んだ人は幸せだ。さまざまな女の来し方を知り、自分にとって最良の選択ができるから。また本作を、岐路を振り返る時期になって読んだ人も幸いだ。さまざまな女の行く末を見て、自分にとって最高の運命を信じられるから。

「専業主婦なんて夫に寄りかかった生活、どこがおもしろいのかしら。夫という大樹がなくなればすぐに路頭に迷うんじゃないの」

 若かった鈴子が結婚を機に会社をやめるとき、フリーライターの登紀子に言われたことだ。その言葉は、72歳の今になっても鈴子の胸に刺さっている。鈴子が、何年かぶりに登紀子に連絡したのは、突然の訃報がきっかけだった。高名なイラストレーター・早川朔こと藤田妙子が亡くなったという。そこで、妙子・登紀子のふたりと親しくしていた鈴子が、妙子の訃報を登紀子に知らせることになったのだ。

 登紀子は、祖母も母も物書きであり、フリーライターの先駆け的な存在。今もあちこちで使われているファッション誌の文体は、登紀子が作ったと言っても過言ではない。鈴子は、若いころ勤めていた出版社に出入りしていた登紀子と、彼女が作る週刊誌の表紙を描いていた売れっ子イラストレーターの妙子のふたりと、ひょんなことから交流を深めることになった。先の言葉は、このころ登紀子からかけられたものだ。

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 そして3年前、鈴子はそんな登紀子からの電話を受けた。「少し用立ててくださらないかしら」。生活に困窮しているらしい登紀子に、鈴子はいくばくかの金を渡した。貸したというつもりはない。けれど、そのときの金は返してもらえないまま、鈴子は妙子を見送る斎場で登紀子に再会する。ほんもののお嬢さまであるはずの登紀子が、どうして金の無心などをする必要があったのか。妙子の火葬も、イラストレーターとして名を馳せたわりに寂しく、息子の見送りもないようだ。そう訝しがる鈴子の周囲にだって、予想しえないほころびがある。孫の奈帆がブラック企業に就職し、軽い鬱を患ったのだ。

 家に引きこもっていた孫娘のリハビリも兼ねて、鈴子は奈帆に、斎場についてきてほしいと頼んでいた。ところが、斎場での奈帆の行動に、鈴子は驚かされた。奈帆が突然、登紀子に向かって、フリーライターになるにはどうすればよいかと尋ねたのだ。登紀子の話、そして彼女たちが働いていた時代のことを聞きたいと熱心に訴える奈帆に負けたのか、登紀子は言う。「ほんとうに興味があるのならいらっしゃい。あなたが話を聞きたいのなら」。こうしてその1週間後から、登紀子の長い話がはじまった──。

 タイトルの「Trinity(トリニティ)」とは、キリスト教における三位一体を意味する。作中の女たちは自問する。父と子と聖霊が神というもののあらわれならば、そこから外れた女である彼女たち自身を、自分たちたらしめるものはなんだろう。男、結婚、仕事だろうか? それとも仕事、結婚、子ども? 彼女たちは、ときに迷い、ときに諦め、ときに打ちのめされながらも、みずからの意思で道を切り開き、みずからの命を燃やしていく。

登紀子は泣いている妙子の体を抱え、空の向こうを指さした。見えるのはさっきと同じ、高層ビルに備えられた点滅する赤い灯だけだ。
「ほら、あれ見て。できたときから、夜になると、ちかちかしてるの、あの赤い灯。鼓動と同じだよね。ビルの鼓動。あのビルもまだある。私たちもまだ生きてる。まだまだずっとこのあとも続くんだよ。やりたいことやろう。やりたいことやって、やりつくそうよ」

 語り手のバトンは鮮やかに受け渡されていき、舞台が昭和から平成までを駆け抜けていく流れは見事のひとこと。昭和から平成へ、そして令和へと受け継がれていく女たちの想いについて、本書とともに思いを馳せたい。

文=三田ゆき