『渦』祝・直木賞受賞! 現実と虚像を溶けあわせながら生きた、比類の「浄瑠璃作家」の生涯とは?

文芸・カルチャー

2019/8/10

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美/文藝春秋)

 人形浄瑠璃の作家・近松半二の生涯を描いた、直木賞受賞作『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美/文藝春秋)。浄瑠璃のことはよく知らないし、時代小説も苦手だし、自分からは遠い作品なんじゃないかと感じている人は多いかもしれない。だが、私もそうだったからこそ、読み終えた今、そんなことは絶対ないからぜひ読んでほしいと断言できる。自分の手で何かを生み出したいと思っている人はもちろんのこと、自分には何もない、自分は何何者にもなれないと思い込んでいる人にも、きっと響くものがあるはずだから。

 将来を嘱望される賢い子供ながら、人形浄瑠璃以外に興味がなく、芝居小屋にばかり入り浸っていた半二。近松門左衛門にもらったという硯を「お前はいずれ浄瑠璃を書くはず」という予言とともに託されたのが物語、いや、彼の人生の始まりだ。だが、道頓堀の竹本座で世話になりながら、自称・近松門左衛門の弟子としてすっかり「書ける」気になっているものの、師匠でもある人形遣い・吉田文三郎にはことごとくボツをくらう日々。幼なじみの並木正三が、歌舞伎作家として次々と作品を生み出し、名をあげていく。それでもくさらず、せっせと書き続ける修業時代の半二の描写が、とても好きだ。才能とは、生まれもって授かるものだけでなく、自分でこれと決めたものを一途に愛する心と、何があっても決して手放さないその意地を言うのだというのが、わかるから。

〈芸を貫く、ちゅうのんは、ほんまに、おそろしいこっちゃな〉と半二が思う場面がある。自分の一座を興そうと目論む文三郎の、狂気に似た浄瑠璃への情熱に触れたときだ。半二に、彼のようなぎらついた野心があったわけではないが、文三郎をはじめとする己を貫くプロたちの生きざまに触れることで、彼自身の狂気も目覚めていったのだと思う。芸に携わる者だけじゃない。幼い頃に浄瑠璃を教えてくれた父や、死ぬまで和解することのなかった母、そして兄の許嫁だったお末など、出会うすべての人の矜持と生き様が半二を揺さぶり続けていた。他人と、自分。虚構と、現実。そのあわいを行ったり来たりしながら、目にするすべてをとりこんで、半二は自分の内側に渦巻くものを育てていった。それがやがて作品となり、観る者を揺さぶっていくのである。

 そのひとつが、彼の代表作となる『妹背山婦女庭訓』だ。母の理不尽で兄との結婚をあきらめなくてはならなかったお末、それでも気丈に生きてきた彼女が早逝していたと知ったとき。生き死にのあっけなさとやるせなさが「お三輪」という人物となって半二の内側に現れた。物語の枠を超え、一個の魂として生まれたお三輪は、半二の物語に命を吹き込み、低迷していた竹本座の人気も復興していく。その渦に巻きこまれるのは、私たち読み手も同じ。芸を貫いた半二の生涯と、それを紡ぐ大島さんの言葉は、ぽたり、ぽたりと雫のように私たちの内側に落ちていき、溜まった水が、いつしか新たな渦の芽となる。読み終えたあとはきっと、その気配に耳を澄まさずにはいられないはずだ。

文=立花もも