『虐待父がようやく死んだ』――誰か助けて。でも私の親がおかしいことと、愛されていないことには、誰も気づかないで

マンガ・アニメ

2019/8/23

『虐待父がようやく死んだ』(あらいぴろよ/竹書房)

〈誰か助けて。でも私の親がおかしいことと、私があの人たちに愛されていないことには、どうか誰も、気づかないで。〉――あらいぴろよさんのコミックエッセイ『虐待父がようやく死んだ』(竹書房)の冒頭に書かれたこの文章を読んで、まず、胸がつまった。それは、苦しんでいる多くの子供たちの心の叫びだと思ったからだ。渦中にいる子供たちは「気づいてほしい」と「気づかれたくない」の狭間で揺れ動いている。

 著者のあらいさんは〈実家を出るまでは自分の力ではどうしようもないことの連続で〉〈嫌なことがあると「私は悪くない」って自分を慰めてきた〉と本書で語っている。家では理不尽に怒鳴りちらし、流血沙汰の暴力をふるう父が、一方的に悪いことは身に染みてわかっていた。けれど外では、PTA会長をつとめ、誰に対しても親切で“いい人”な父が信頼されている。祖母(父の母)による嘘で母の名誉は貶められ、あらいさんも“躾のなってないおかしな子”として扱われる。そこで気づかされることのひとつが「いい子にしているなら暴力をふるわれるはずがない」という世間の“常識”なのではないだろうか。

 本書に父の暴力を肯定する描写はひとつもなく、徹底的に理不尽なものとして描かれているが、自分を責めた日がなかったはずはないと思う。冒頭の文章と、次の独白からは、あらいさんの抱いてきた葛藤と、生き抜いてきた日々がうかがい知れる。

あの両親でなきゃ私は確かに生まれていない …自分で自分自身の存在を否定するようで口に出すのが怖かったけど… 普通の家で普通のお父さんと普通のお母さんと暮らしてみたかったね…

 庇護される立場である以上、どんな親にも恩義は生まれる。「父さんが大学に行かせてくれなかったら今の仕事に就けなかった」という兄2人の義理堅さが切なかった。兄と違って、性暴力の危険にさらされ、学費の返還も要求されたあらいさんは父に恩義はないけれど、母への罪悪感は大きかった。身を呈し、血を流しながら子供たちを守ってくれた母。だが、彼女の「あなたたちのため」という言葉は、ほとんど呪いだ。わりと冒頭から「“癌”は父ではなく母のほうでは……」という疑いが去来するが、読み進めるほど根の深さを痛感するばかりであった。

 眠れなかったり、人との距離感をつかめなかったり、感情のコントロールができなかったり、独り立ちしてからもあらいさんは虐待の後遺症に悩まされる。親との関わりを絶ったとしても、虐待が終わるわけではないのだと本書を読むと分かる。

 本書は、恋人と出会い、結婚して子供をもち、失いたくない人ができたあらいさんが、虐待を終わらせていく記録である。同じ苦しみをもつ人には、負の連鎖から抜け出す助けになるだろうし、そうでない人も、実態を少しでも理解することで、気づかれたくない子供たちに気づいてあげられるようになるかもしれない。虐待父がようやく死んだところですべてが終わるわけではない。だがそれでも、終わらせるための一歩を、私たちが踏み出していかねばならないし、本書はそのための一助となるはずだ。

文=立花もも