「プロレスってヤラセでしょ?」と思っている人に読んでほしい! 長州力も推薦する最上級のプロレス小説! リング上で語られる真実とは?

文芸・カルチャー

2019/8/25

『掃除屋 プロレス始末伝』(黒木あるじ/集英社)

 プロレスが好きだというと「どこまでがヤラセなの?」と聞いてくる人が時々いる。いや、ヤラセなんかないよ、と言ってもいまいち信用してくれないのは、他の格闘技と違って勝ちの最短距離を狙わないからだろう。相手の技を「受ける」のがプロレスだし、跳ね返すことはあっても、逃げない。よけない。ときに相手と動きをあわせてアクロバティックなパフォーマンスをしてみせる。それを見て、真剣勝負ではない、と思うのかもしれないけれど、そうじゃない。

 私たちはプロレスを通じて、勝ち負け以上に闘う人たちの生き様を観ているのだ、ということが小説『掃除屋 プロレス始末伝』(黒木あるじ/集英社)を読むとわかる。

 主人公は、ベテランレスラーのピューマ藤戸。依頼のあった相手をリング上で制裁する「掃除屋」稼業に手を染める、いわゆる闇のレスラーだ。依頼にもよるが、相手に致命的な怪我を負わせながら、本人にも観客にも気づかせず巧妙に負ける。よほどの実力がなければできないことだが、彼が“まっとう”なプロレスをやめたのには理由があった。15年前、ライバルにして親友の鷹沢をシングルマッチでリングに沈め、いまなお意識が戻らないという現実――。

 鷹沢の娘の「人殺し」というセリフ、「殺す気がなければこんなことになるはずがない」とプロレスを知らない彼女に糾弾されて「それは違う!」と言いたくなるのは、藤戸だけではないだろう。

「やられ、倒され、ズタボロになって、それでも立ち上がる。客はどうやら其処に光を見るらしい。肝心なのは勝敗じゃねえ。敗北したあとにどう生きるかなんだろうな」と、ある依頼人に藤戸は言う。確かに藤戸は、依頼のあった相手を“掃除”する。だが、相手のレスラーとしての人生が終わるかどうかは、藤戸によっては決まらない。負けた先の光を見せられるかどうか、それは当人の生き様にかかっている。

 でも、だからこそ、相手が親友であろうとリングの上では手が抜けない。死ぬ気も殺す気もない、ただ自分たちの生き様をぶつけあう。それがプロレスだ。たとえ掃除屋という裏稼業に身をやつしてはいても、レフェリーから教えられたその信念は藤戸から消えていない。「俺は俺自身の意思で負けるのだ。希望も絶望も自分の手で掴むのだ」という彼の強い意思が、読む者の心をゆさぶる。これぞプロレスだ、と拳をつきあげたくなる。

 そんな彼を追うのが、ジャーナリストの海江田である。“真実”に執着する彼は、藤戸の所業が許せない。執拗に藤戸の近辺をかぎまわり試合を追う海江田には“正義”がある。だが、彼の言う真実とはなんだろう? 確かにプロレスには、客を楽しませるためのパフォーマンスが入る。だが、真実とは、演出や虚構の介入によって霧散するものだろうか? 命をかけた闘いは、それだけで“嘘”になってしまうのか?

 その答えが本書にはある。プロレスファンはもちろん、プロレスが何かも知らない読者にもぜひ手にとっていただき、リング上で語られる人生を目の当たりにしてほしい。

文=立花もも