読み手の価値観を揺さぶる、クライム・サスペンスが登場! 大勢の命を救うため、「凶悪犯罪者予備軍」はどうするべき?

マンガ

公開日:2019/9/15

『無敵の人』(きづきあきら+サトウナンキ/双葉社)

 「無敵の人」というネットスラングがある。これは、社会から孤立し、信用や地位、財産などを持たない人のこと。簡単に言うと、「なにも失うものがない人」のことだ。

 無敵の人のなかには、ときに大胆な行動に出てしまう人もいる。なにも恐れずに行動する。それがプラスに転じることもあるだろう。思い切って行動した結果、状況を好転させることができる。しかし、マイナス面に出てしまったとしたら。その最悪な例が、凶悪犯罪だ。無差別テロや通り魔的犯行、強姦殺人……。それで捕まってしまったとしても、なにも怖くない。だって、失うものがないのだから――。

 8月8日に第1巻が発売されたばかりの『無敵の人』(きづきあきら+サトウナンキ/双葉社)は、そのタイトル通り、無敵の人をテーマにした作品である。

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 主人公は女子高生の高瀬いのり。彼女は引きこもりの兄から、毎日のように性的暴行を受けている。その事実を知る母親も、決していのりを助けてはくれない。いのりはそんな状況に絶望しながらも、逃げ場のない日々をひたすら耐えるばかり。

 ところが、突然現れた謎の男・ニルの存在によって、いのりの地獄は終わりを告げる。ニルは無敵の人と成り果てたいのりの兄を、無残にも殺害するのだ。理由は、凶悪犯罪を未然に防ぐため。そう、いのりの兄は妹に対する性的暴行だけではなく、無差別殺人をも企てていたのだった。

 ニルによって、失われるはずだった大勢の命が救われた。もちろん、いのり自身も救われたことに違いはない。しかし、いのりはその対価を要求される。それは、「犯罪に走る前の無敵の人を殺害する」という「治安維持活動」に協力をするというもの。この日を境に、いのりの日々は一変する。確かに地獄は終わったが、また新たなカタチの地獄がスタートするのである。

 いのりたちの「治安維持活動」によって、大勢の命は救われるのだろう。しかしそれは、犯罪者予備軍である無敵の人を殺害するという行為によるもの。誰かを救うために誰かを殺す。それははたして正義と言えるのか。いのりは葛藤に苦しむことになる。

 正直、第1巻を読んだ時点では、いのりたちのことを肯定できなかった。犯罪者は確かに悪である。ただし、彼らが凶行に走るのを、「命を奪う」という方法で止めるのではなく、他にもっと良い策があるのではないか。でも、一体どんな方法で? 綺麗事だけでこの世は平和になる? 本作を読んでいると、そのような問いが次々と突きつけられる。そして、読み手のなかにある善悪の価値観が揺さぶられていく。

 ある意味で、無敵の人とは、社会によって生み出された被害者でもあるのではないだろうか。彼らと対峙するいのりたちは、いつの日か答えを見出すことができるのか。この地獄のような日々の果てになにが見えるのかを、追いかけていきたい。本作は、凶悪犯罪が次々と起こる現代だからこそ生まれた怪作だ。

文=五十嵐 大