湯島天神坂にある小さなお宿で、おいしいごはんを堪能しながら、下町人情と小さな謎解きを味わう!

文芸・カルチャー

2019/11/16

『湯島天神坂 お宿如月庵へようこそ』(中島久枝/ポプラ社)

 とにかくごはんがおいしそうな小説『湯島天神坂 お宿如月庵へようこそ』(中島久枝/ポプラ社)。江戸時代を舞台に、上野広小路から湯島天神に至る坂の途中にかまえた小さなお宿・如月庵の人々を描く連作短編シリーズだ。3巻目となる「上弦の巻」は、その記憶力で客からも仲間からも絶大の信頼を得る老人・下足番の樅助に1冊を通じて焦点があてられるが、前2巻を読んでいない方でも安心して手を出してほしい。なぜならこれを書いている私が、既刊があると知らずに読みはじめ、すっかり夢中になってしまったからだ。

 とにかく、樅助の描写がいいんである。3年前に一度来ただけの客の詳細を覚えているだけでなく、江戸で評判の料理や、人気の芝居の出し物まで、なにを聞いても打てば響くように答えが返ってくる。ところがあるとき、なぜかお客の名前をまちがえ、季節行事の雑学もとっさに出てこない。いったいどうしたのかと不安げな彼の様子とともに明かされていくのは、彼の過去だ。

 人は老いを感じたとき、その人生をふりかえる。先の短さに直面すれば、心残りを解消したくなるものだ。樅助にとっては、かつて同じ店で奉公していた同い年の蟹吉がそれだった。魔が差して店の売り上げに手をつけ、逆恨みから樅助を刺し、幾年かたって会いに来てようやく関係も雪解けか、と思ったところに翌日自殺し、あらぬ疑いを樅助自身がかけられることになってしまった……。

 うつらうつらと、眠りの狭間に樅助は記憶をよみがえらせていくのだが、やがて蟹吉に関する記憶がごっそり失われていることに気づき、さらに狼狽することになる。

 時代小説にはたいてい、歩く生き字引である彼のような老人が登場する。読んでいて沁みるのは、若者から見れば悟りを開いたかのような彼らが、表には出せずにしまいこんでいる悔いや悲しみに触れたときだ。その内面が描かれるとき、人間はいつまでたっても解脱などしないのだ、迷い続けるからこそ最後の瞬間まで美しく生き続けられるのだ、ということがわかる。本作から感じたのも、それだった。

 欲に駆られて美徳を見失いかけた骨董商の男。無理をしてでも、必要とされる安心感を捨てきれなかった占い師の少女。嫁ぐことの覚悟が決まらず永遠に「娘」の立場に甘んじていたかった女性。樅助の物語の合間に語られる彼らの物語は(正確には彼らの合間をぬって樅助について語られるのだが)、樅助がたどってきた道の途中だ。それもまた、味わい深い。

 味といえばやはりごはんの描写が秀逸で、いちばん心に残ったのは第1話に出てきた月見の御膳だった。あらゆる「丸」にちなんだ料理が並ぶなかで、鰈(カレイ)の下に隠された卵。風流である。たまには季節にちなんだ食事を、発想を楽しみながらつくってみたいと思ったシーンであった。

文=立花もも