今最も高い評価を受けているSF作家アリエット・ド・ボダール初の邦訳短編集『茶匠と探偵』

文芸・カルチャー

更新日:2019/12/23

『茶匠と探偵』(アリエット・ド・ボダール:著、大島 豊:訳/竹書房)

 この出版を、首を長くして待っていたSFファンは多かったのではないだろうか。

 11月末に刊行された『茶匠と探偵』(大島 豊:訳/竹書房)は、世界で最も高い評価を受けているSF作家のひとり、アリエット・ド・ボダール初の邦訳短編集だ。

 収められた9篇の作品は、それぞれ個別の主人公とストーリーを持つが、いずれも著者が生み出した世界〈シュヤ宇宙〉を舞台にしている。そこは魔法の領域にまで高まった科学と、アジアの伝統的価値観が共存する世界だ。

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 作品中で断片的に語られる〈シュヤ宇宙〉史をつなぎ合わせると、彼らの住む世界は15世紀前後で我々の世界と分岐したらしい。西洋による南米の植民地化は起こらず、アステカが残存して「メヒコ」と呼ばれる一大勢力になった。また、中国や、ベトナムの流れを汲む国がそれぞれ大帝国となって外宇宙にまで植民地を形成し、中国王朝的封建主義をそのまま保存したような社会を築いている。

 科学技術も独自の発展を遂げた。極めて高度だがとても有機的で、人の体温……というより、粘液や肉の弾力性を感じさせる生々しさを持つ。

 その最も象徴的な存在が「有魂船」だろう。

 有魂船は、読んで字の如く、内部に魂を宿す宇宙船だ。魂は金属と生体が融合した「肝魂」に宿るが、生むのは人間の女性。社会的地位や生活保障と引き換えに自らの子宮を貸し、移植された「肝魂」の素を十月十日胎内で養い育て、分娩する。時には早産や死産もある。そうして生まれた「肝魂」は出産直後の母の手によって、船体の「御魂屋」に設置される。船は同じ母を持つ人間たちと兄弟として育ち、人格を得ていく。

 他にも、死者の記憶と人格を移植して永遠に留める位牌のような「インプラント・メモリ」や深宇宙で活動する人間の心身を安定化する力を持つブレンド茶などなど、世界の中核を占める東洋的な匂いのする小道具は、著者の個人史を濃厚に反映しているのだろう。

 彼女はフランス人の父とベトナム人の母の間にニューヨークで生まれ、1歳で両親とともにパリに移住した。複数の理系の学位を持ち、ソフトウエア・エンジニアとして働く二児の母。フランス語と英語とベトナム語のトライリンガルで、母語はフランス語だが小説は英語で書いているそうだ。

 こうした複雑なアイデンティティが、SFというフィールドで結実した。

 各話において殺人、深宇宙での謎の事故、国によるインプラント・メモリの強奪といった事件が勃発するが、謎解きよりも事態に直面した人間の心理描写に重点が置かれている。主人公たちは社会の周縁で生きることを余儀なくされた人々であり、人物造形には著者が感じてきたと思しき息苦しさや怒りとともに、母文化への愛憎がにじみ出る。

 そして、すべての作品の背景に見え隠れするのは、代理母、社会の再階層化、移民、伝統文化と個人の衝突など、21世紀の文学が問い続けることになる諸問題だ。

 未来を通して現代を語る「SF」という分野の本領を思い出させてくれる好著である。

文=門賀美央子