未発表作品も収録! 湊かなえの源泉に触れられるエッセイ集『山猫珈琲』がついに文庫化

文芸・カルチャー

2020/1/6

『山猫珈琲』(湊かなえ/双葉社)

 単行本と文庫本合わせた累計部数は358.7万部。松たか子主演で映画化されたデビュー作『告白』をはじめ、湊かなえさんの小説が軒並み映像化され、国内にとどまらず海を越えて支持されるのは、そこに「人間」が描かれているからだと思う。優しくされて嬉しいとか、蔑ろにされて苦しかったとか、誰もが抱くシンプルな感情がちょっとした捻れで幸福にも悲劇にも変わる。その危うさが他人事ではない形で描かれているから「自分も、あの人も、もしかしたら」と思いながら読者は夢中になって読んでしまう。そんな作品の源泉に触れることができるのが、デビュー10周年を記念して刊行されたエッセイ『山猫珈琲』(双葉社)だ。

 たとえば、「三種の神器」の話。27歳のとき、赴任した淡路島で地元の男性と結婚した湊さん。実家は県外、友人・知人もいないなかで、最初のころは三日に一度は泣いていたが、30歳を過ぎたある日、1年泣いていないことに気づいたという。それは「聞き流す」「やり過ごす」「なかったことにする」という技(三種の神器)が身についたからというエピソードには多くの人が共感することだろう。また本書には、セーターを乾燥機でまわしてしまった夫に愕然としたものの、文句を呑み込んだというエピソードも書かれている。言えば、夫は二度と洗濯をしてくれなくなるし、言ってもセーターが元通りになるわけではないし、いいことが一つもないからだと。

 三種の神器を発動させて、ちょっとしたことを呑み込むんでいくことで、日常の平和は保たれる。それをよく知っているからこそ、呑み込めなかったときに起きる暴発を湊さんはあれほどまざまざと描けるのだと、読んでいて思った。

 ほかにも、「小説推理新人賞」の受賞作となる「聖職者」(『告白』の第1話)が最終選考に残ったとき、その結果を一日中電話口にはりついて待っていたのに、子供たちが訪ねてきてちょっと離れた隙に電話がかかってきて、留守電で受けるはめになってしまったこととか、嫁を経由して夫への要望を伝えようとする姑に、それがトラブルのもとなのだから直接言ってくれという“嫁あるある”とか。もちろん登山エピソードやトンガの思い出など、湊さんの作品『山女日記』や『絶唱』に直接かかわりのあるコラムも面白いのだけど、それ以上に湊さんが日常を見つめる視点に興味をそそられた。

 おそらく人一倍気配りが利いて、家族とまわりの大切な人を想い、守ろうとする気持ちの強い湊さんは、偶然の出会いやちょっとしたすれ違いで、物事はよくも悪くも大きく変わってしまうことも知っている。悲劇は遠い世界のどこかで起きるのではなく、私たちのすぐ隣に可能性としていくつも存在している。それを鋭いまなざしで丁寧に掬いとっているからあれほど胸を打たれるのだと感じた。

 脚本コンクールの受賞作や、未発表の脚本、同郷のポルノグラフィティの楽曲「Aokage」をイメージした掌編小説も収録されており、10周年にふさわしい内容の豪華さだが、やはり作家の素に触れられて、作品の魅力と味わいをぐんと増してくれるのが、エッセイの醍醐味である。

文=立花もも