悩める女性たちに捧ぐ。人が占いの果てに見つけるものとは?――木内昇『占(うら)』

文芸・カルチャー

2020/1/25

『占(うら)』(木内昇/新潮社)

 心に大きな悩みをかかえ途方に暮れたとき、人は時として、「占い」の虜になってしまう。暗闇で見つけた一筋の光にすがるように。

 時代譚の妙手、木内昇氏の新刊『占(うら)』(新潮社)は、悩み苦しむ女性の心模様とせつなさを、卓越した切り口で描いた幻想短編集だ。平穏な日常を過ごしていた人びとが、ふとしたことから懊悩をかかえ、「占い」という非日常の袋小路から抜け出せなくなっていく。

 時代は大正の終わりから昭和のはじめ頃だろうか。場所は判然としない。人や町のたたずまいから、おおよその背景が分かるだけだ。直木賞受賞作『漂砂のうたう』(集英社)や近著『火炎の人』(KADOKAWA)で示された確かな時代考証は、本作では絶妙な加減で抑えられている。茫洋とした景色の中、人びとが流す涙や汗、息づかいが、いっそう鮮やかでみずみずしい。そして、ぼんやりと浮かぶ町の片隅で、「占い」という幻想の世界が悩める客をひっそりと迎え入れる。

一軒家の軒先に立つ。表札には「卜(うらない)」と墨字でしたためられている。

 第1話の主人公・桐子は、翻訳で身を立て、誰も頼らずひとり慎ましく生きてきた。ひょんなことから伊助という大工と恋仲になるが、その恋人のことで深く思い悩むようになる。そんなある日、桐子が目にした「卜(うらない)」という文字。伊助の本心が知りたくて占い通いが止められなくなった桐子は、しだいに自分を見失っていく。

…珠を弾く指先が冷たくなっていった。いつの間にか、ふた月はゆうに暮らせるだけの額をつぎ込んでいたのである。
「もう、よそう。こんなこと、やめないといけない」

 各編には、透視術師や読心術師、癪(しゃく=嫌な思い)を食べる喰い師など、不思議な力を備えた術師が次々に登場し、苦悩する客に、時に厳しく時に優しく人生の真理をそっと伝えてくれる。

 そんな術師らの奇界に迷い込んでしまうのは、桐子のように、どこか不器用で自信がない、けれども日々の暮らしを丁寧にまっすぐに生きてきた女性たちである。「占い」の前で彼女たちの心はむき出しにされ、不安、悲しみ、嫉妬、憎悪など胸の内でくすぶっていた感情が露わになる。いつの時代も「占い」とは、人の心に潜む弱さ、危うさ、愚かさを映し出す鏡なのかもしれない。

 けれども、そうした人の弱さや愚かさに共感し、誰よりも彼女たちに寄り添っているのは、他ならぬ著者かもしれない。悩みもがく彼女たちには慈しみのまなざしが向けられており、決して奇界に置き去りにはされない。暗く閉ざされた道の先には灯りが静かにともされている、そんな予感が最後に残される。

 悩み苦しんだ登場人物たちが、占いの果てに何かを見つけたとき、読者である私たちもまた、まっすぐに前を向いて自分の道を歩き出したくなる。

 もしも今、あなたが苦悩であえいでいるなら、ぜひ本書を手に取ってみてほしい。珠玉の7編のどこかに、そっと抱きしめたくなるような“何か”が見つかるかもしれない。

文=鈴木美由起