マンガ大賞2020『ブルーピリオド』の名言に学ぶ創作の道の歩き方。プロを目指す者が抱える業とは?

マンガ

公開日:2020/6/6

『ブルーピリオド』(1)(山口つばさ/講談社)

 遊び好きで人気者のリア充の高校生が「絵を描く喜び」を知り、藝大受験という超難関に挑むアート系スポコン青春マンガ『ブルーピリオド』(山口つばさ/講談社)。

 マンガ大賞2020を受賞した『ブルーピリオド』の物語の舞台は、「藝大受験」「藝大」「美術」であるが、主人公・矢口八虎が絵を描くことで出会う、喜びや恐怖、成功と挫折、悩みと導き――これらはアートに限った話ではない。

 私は別名義で物語を書く仕事をしているが、若い頃に八虎の悩みや失敗と同じような経験があり、読むたびに苦みとともに涙がこみ上げてくる。もし30年前にこの作品に出会えていたら、自分の「創作」への考え方やスタンスをもっと早く「気づき」「作り上げる」ことができたのではないかと、思わずにはいられない。

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「創作の初心者」のあなたにも、「最近、行き詰まりを感じている経験者」のあなたにも必ず役に立つであろう「創作の道の歩き方」を『ブルーピリオド』に学んでみたい。

はじまりは自由でいい

 絵画にしろ、藝大・美大受験にしろ、あるいは他の創作や表現にしろ、始めるきっかけは人それぞれで、描きたいものや表現したいものは「自由」だ。主人公・八虎は、美術部の部室に飾られていた絵を偶然目にし、絵画に興味を持った。その絵を描いた森先輩のひとことが、絵を描く引き金となる。

「あなたが青く見えるなら りんごもうさぎの体も青くていいんだよ」

「早朝の渋谷は青い」と感じるままに、八虎は「あなたの好きな景色」を描き上げる。表現は自由。そして、始めるのも自由。誰だって最初は初心者なのだから、怖れずにやってみればいい。やらなければ何も起こらないのだ。

不自由に打ち勝つ基礎と技術

『ブルーピリオド』(2)(山口つばさ/講談社)

 最初の作品を描いたことで、八虎は「絵で本心を語れたこと」「表現の自由さと面白さ」に気づく。しかし、すぐに「感性と完成品のギャップ」を突きつけられる。

「俺の頭の中にある“俺の絵”は最高にかっこいい けど一筆 また一筆 俺が俺の絵をダメにしていく」

 どんなに素晴らしい光景をイメージしようとも、どんなに壮大な物語を思いついても、「出力する」手段がなければ、自分の望む完成形にはたどりつけない。八虎のセリフに幾度も出てくる「どーやって」は、自由の前に立ちはだかる「不自由」の壁だ。

「俺の絵にもっと説得力があったら あんなこと言われなかったんだから」

 自己満足で終わらせるなら、思うままに描いて終わりでいい。しかし、誰かに見てもらいたい、評価してほしい、プロになりたい…と思うなら、作品を世にさらし、その是非や価値を問わなくてはならない。時には辛辣な意見や、全ボツを出されることもある。

 八虎は、作品を描くたびに「感性と完成品のギャップ」に直面し、その「原因」がどこにあるのかを考え続ける。基礎であるデッサンの意味、遠近法、画材、色相環、補色、構図…。美術の先生や予備校の講師、ライバルたちの批評など、自分の先をゆく人々の言葉やヒントを道しるべに、あがきもがいて、少しずつ理想の形へと近づく「技術」を身につけていく。

表現者の業という絶対的価値

『ブルーピリオド』(3)(山口つばさ/講談社)

 技術を身につけ、作品作りのロジックを学び、ひたすら練習を続ければ、誰でも確実に上達していく。物語中でも、八虎は上達し、「表現できること」が増えていく。地道な努力は苦しいが、上達という結果は快感だ。しかし…である。

「うすうす気づいてたけど 藝大の油画専攻は デッサンはできる前提 その上で自分の表現ができてるかどうかを見るわけだ」

 藝大の試験だけではない。油絵でも、小説でも、企画書でも、ときにはスポーツでも、求められるのは「上手い」の先にある「作り手の描きたいもの」であり「作者の業」なのだ。

「作品の“よさ”は技術ではありませんよ」
「矢口に足りていないのは“自分勝手力”よ」

 八虎は「技術知識」を得て、一定レベル以上のものを描くことができるようになっていくが、気づくと「描きたい」よりも「結果」を求め、いつぞやの自分の作品を真似て描くようになってしまう。

 プロの作家は、安定したクオリティの作品を量産することを求められることもある。しかし、「焼き直し」の作品には新鮮味も挑戦もない。技術だけでまとめられたものには面白味も、作者が誰かである意味もない。

 自分の表現したいものは何なのか? その出力方法はあっているのか? それらを絶えず問い続けなくてはならない。

ゴールのない、繰り返しの道

 創作者として走り続けるということは、常に「自分の一番の作品」とは何なのかを問い続けることだ。ひとつの作品が完成すれば、次の作品を創らなくてはならない。しかし、前と同じではいけない。技術も、手法も、テーマも、前よりも強く大きく進んでいかなくてはならない。作品は完成しても、自らの創作という業に完成はない。

「絵を描くのが怖いんだよ…」
「好きなことをやるって いつでも楽しいって意味じゃないよ」
「脱却してぇ…」

 八虎の叫びは、創作の道を歩む人の叫びだ。それでも「描きたい」から「好き」だから「楽しい」から、人は創作を続ける。

『ブルーピリオド』は、ただ心地よいだけの成長物語ではない。八虎を導いてくれる先生や仲間たちはいるが、最後は自分。いつだって最後の答えを見つけるのは八虎本人だ。八虎はひたすら描き続ける。それ以外に、道は切り拓けない。創作はどこまでも孤独なものなのだ。そして、創作を止める日まで、これが繰り返し続くのだ。

 もちろん、趣味で手軽に楽しみたいのであれば、ここで語った話は無視してもらってもいい。だが、創作を本気で志すのなら、そしてプロとして仕事にしたいのなら、『ブルーピリオド』には一読の価値がある。今の自分がどんな状況にあるのか、何ができて、何が足りないのか、どうしたらいいのか、見つめ直すきっかけになるだろう。

 青臭いまま、終止符を打つのか。
 自分だけの青の時代を築くのか。
 『ブルーピリオド』に、道しるべを見つけたのなら。
 手を動かせ。

文=水陶マコト

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