話題の全米ベストセラー、ついに日本語版が刊行! 在日コリアン一族の4代にわたるドラマを熱く描く『パチンコ』

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/30

『パチンコ』(ミン・ジン・リー/文藝春秋)

 アメリカで2017年に出版された韓国系アメリカ人作家ミン・ジン・リーの長編小説『パチンコ』の日本語版が、文藝春秋より刊行された。同作はニューヨーク公共図書館の「2017年のベスト・ブック10冊」やアメリカでもっとも権威がある文学賞のひとつ「全米図書賞」最終候補に選出され、オバマ前大統領の「2019年のフェイバリット・ブックス」リストにも入った全米ベストセラー。その絶賛に近い高評価が日本にも伝わり、“パチンコ”というちょっと変わった興味をひかれるタイトルと、在日コリアンが主人公で物語の大半が日本を舞台にしていることが話題になって、海外文学ファンから邦訳が待ち望まれていた作品だ。

『パチンコ』は1910年から1989年まで、4代にわたる在日コリアンファミリーの壮大な年代記を描く。物語が始まるのは韓国併合の直後、釜山の近くの島にある漁村だ。漁師の親と暮らす体に障害のある息子フニのもとに、15歳のヤンジンという若い娘が嫁いでくる。

 彼女は何度も流産を繰り返した末に健康な女児、ソンジャを出産。ヤンジンとソンジャの母娘ふたりは、フニが亡くなった後も下宿屋を営んで懸命に働き続けていたが、16歳になったソンジャが妊娠してしまう。相手の男について何も話さず、結婚はできないとしか言わないソンジャにヤンジンの心配と不安は尽きない。そんなところに若い牧師パク・イサクが宿を求めてやってくる。イサクは兄夫婦が住む大阪に向かおうとしていたのだが、下宿屋に到着するなり持病の結核が再発。母娘の看病を受けながら生死の境をさまようことに――。

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 このソンジャの予期せぬ妊娠とイサクの病がきっかけとなり、物語の舞台は戦中の大阪へ。そして、時代の移り変わりとともに、ソンジャの子であるノアとモーザス、イサクと兄のヨセプ、その妻であるキョンヒ、若き日のソンジャを妊娠させたコ・ハンス、そしてソンジャの孫ソロモンといった人物の運命が綴られていく。そこで描かれる故郷を失った“移民”として在日コリアンが味わう理不尽な差別、苦難の数々は、日本人が読めば胸が苦しくなるような思いをすることにもなるだろう。しかし、それは日本人がこの物語を読む意味のひとつでもあるはずだ。そしてこの物語では、そんな移民ならではの苦しみと絡めて、旧来の家父長制的な価値観に縛られる女性たちへの抑圧も描かれていく。序盤、漁村の市場で働く女性のこんな言葉が登場する。

女の一生なんてね、ひたすら働いて辛抱するだけなんだよ。一つ辛抱して、また次も辛抱して。苦労に終わりはないって覚悟しておくといい。

 ひとりの人間が決して抗いようのない“伝統”や社会の“常識”、システムが前に立ちはだかり、時に進むべき道を狭め、人生を圧迫していくのだ。

 このように書くと、本作が政治的、道徳的な“正しさ”を追求し、差別や抑圧を糾弾していくような小説と思われるかもしれない。もちろん、現実に存在する差別や抑圧を描く小説である以上、そういった側面もある。しかし、この物語の眼目は過酷な社会や歴史に翻弄されながらも、たくましく、懸命に生きていこうとする人間たちの熱いドラマだ。

歴史が私たちを見捨てようと、関係ない。

 これは本作の最初の一文だ。歴史に見捨てられた一族はどのように生きたのか。先に紹介したあらすじは、物語のほんの出だしに過ぎない。あえてストーリーの展開を最小限にしか書かなかったのは、これからこの物語を読む人たちの楽しみを奪いたくなかったからだ。一族のそれぞれ個性のある魅力的な人物に寄り添い、その運命と魂の行く末を追っていく面白さは、ぜひ実際に本を読んで味わってほしい。きっとページをめくる手が止められなくなるだろう。

 本作はソフトカバー上下巻で700ページ超の大著だが、その長さゆえのスケール感が生み出す、心に深く染み込むような独特の味わいは、間違いなく小説ならではの醍醐味だ。上下巻合わせて税込み5000円を超える価格にひるんで、手に取ることをためらう人も多いかもしれない。しかし、それだけの価値がある“小説を読む喜び”をこの本は与えてくれるはずだ。

文=橋富政彦