服毒自殺した夫の不倫相手が幽霊となって現れた…! 奇妙な回想が思いがけない奇跡を呼ぶ『白蟻女』

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/13

『白蟻女』(赤松利市/光文社)

 今年、『犬』(徳間書店)で大藪春彦賞を受賞した赤松利市氏は、人間のドロドロとした感情を描くのが上手い作家。そんな印象が筆者の中にあったから、これまでと作風がガラっと変わった『白蟻女』(光文社)を見て驚き、興味が湧いた。
 
 本作に収録されているのは、表題作でもある「白蟻女」と「遺言」の2作。これまでとは違う世界観にわくわくしながらページをめくっていたら、いつの間にか涙で文字がにじみ読めなくなった。本作は人の心のひだを丁寧に描き続けてきた赤松氏だからこそ生み出せたであろう、温かい人情物語だ。

夫の通夜の日、かつての不倫相手が幽霊となって現れた…!

「白蟻女」は、幽霊となった不倫相手と本妻が共に過去を回想するというユニークな物語。

 不倫相手と妻が出てくるストーリーはドロドロとした展開になるのがお決まりだが、本作は違う。人を愛することの尊さを痛感させられ、何度もウルウルしてしまう。

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 最愛の夫・栄一郎を亡くした恵子は通夜の日、感傷に浸りながら夜伽をしていた。そんな時、目の前に現れたのは幽霊になった夫と茶目っ気たっぷりな若い女。その女性はかつて、恵子が娘を身ごもっていた時に突然家にやってきて、白蟻の駆除剤を服毒して死んだ、夫の不倫相手だった。

 あの時の“白蟻女”がなぜ今頃、化けて出てきたのか…。そう考える恵子に対し、白蟻女は「栄一郎さんをもらいにきた」と言い放つ。そこで、恵子は「葬儀を済ませたら夫のことは任せる」と告げたが、白蟻女はなぜか激怒。「思い出をめちゃくちゃにしてやる」と言われ、恵子は意識を失う…。

 しばらくして気が付くと、なんと新婚旅行の日に戻っていた。自らの過去を辿ることになった恵子は、白蟻女がかつての恵子になり切ってふたりの大切な思い出をめちゃくちゃにしようとするのをただ見つめることしかできず、はじめは歯がゆく思う。

 だが、夫婦としての“これまでの日々”を客観視する中で、恵子は自分の本心ともじっくり向き合うことに。「農家ではなく、あの人に嫁ぐ」と決心し、周囲に反対されながらも“農家の嫁”となった日の喜び。そして、代々引き継いできた山村や田畑にバイパス工事の話が持ち上がったことで、土地を売り、家賃収入で暮らしていけるようになった時のなんとも言えない悲しさ…。これまで歩んできた道のりを丁寧に振り返り、自分が本当に守りたかったものの正体を突き止めるのだ。

 また、自身の過去だけでなく、白蟻女と夫の思い出も目にしたことで、生前には知ることができなかった夫の本心に驚きもする。

 摩訶不思議なこの回想の先には、思いもよらない奇跡が――。驚きのラストを目にした後には、きっとあなたも自分の生き方を考え直したくなるはずだ。

自分が選んだ人生と大切な人を愛しぬく覚悟を

 ふたりの女の奇妙な交流は、誰かを愛することの尊さを教えてもくれる。白蟻女も恵子も、共に覚悟を決め、栄一郎というひとりの男を愛した。ふたりが積み上げた栄一郎とのそれぞれの思い出は、どれもかけがえのないものばかりだ。

 特に号泣させられたのは、夫の気持ちが他の女に向いていることを知った時の恵子の行動。嫉妬に狂うのではなく、わずかに残った畑を耕し、自分の手だけで玉ねぎを作り、夫に褒めてもらおうと考えるシーンには涙が止まらなかった。町場のキャバレーで働く、自分よりも若くて美しい白蟻女に「女」という武器で対抗するのではなく、覚悟を決めて選んだ“農家の嫁”であり続けることで夫の心を取り戻そうとする恵子の愛は、健気で強い。自ら選んだ人生と愛する人に対して、自分もこんな風に誇りを持ち続けていきたい。心底そう思った。

 義理と人情が溢れる本作は、大切な人をひたすらに愛せなくなった時や、人を想うことに対して臆病になった時に、ぜひ手に取ってほしい作品。やさしき世界に触れた後、あなたの頭にはどんな人のことが浮かんでくるだろうか。

文=古川諭香