元首相も患う難病・潰瘍性大腸炎――絶食後に食べたヨーグルトが爆発!? 食事と排泄が当たり前でなくなった世界で見たものは――

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/22

『食べることと出すこと』(医学書院)
『食べることと出すこと』(頭木弘樹/医学書院)

 〆切がとっくに過ぎた原稿を必死の形相で取り組んでいる時、食事と排泄が面倒に感じることがある。なぜ忙しい時に、ご飯を食べて、トイレに行かねばならないのか? …と、自業自得による苛立ちを、人間の自然な営みにまでぶつけながら、高速でキーボードを打つ。だが、もし、この食事と排泄が「当たり前」でなくなってしまったら、日常や内面にどんな変化があるのだろうか――。現在は文学紹介者として、悩み苦しんだ時期に心に沁み入った言葉を紹介している頭木弘樹さんの新刊『食べることと出すこと』(医学書院)は、その顛末が深みのある柔らかな筆致で綴られる1冊だ。

 著者の頭木さんは、20歳の時に、難病・潰瘍性大腸炎を発症。13年にわたる闘病生活を送った。潰瘍性大腸炎の基本的な症状は、下痢だ。病院にかつぎ込まれた時は、高熱と痛みでもがいて壁をかきむしるほどだったという。便意自体も通常の下痢よりかなり激しいにもかかわらず、入院先の病室はトイレから離れていたそうだ。著者はそんな中、1日20回以上、うまく回転しない点滴スタンドをヤリのように持ち上げて、トイレに駆け込んでいた…というから言葉を失った。

とうとう漏らしてしまった患者に看護師がとった驚きの行動とは…!?

 そんなある日、著者はとうとう夜中に、トイレのドアの前で、漏らして立ち尽くしてしまう。そこに若い女性の看護師がちょうどひとりやって来た。助けを求めると迷惑そうな顔をして、トイレ掃除用のバケツと雑巾を渡し、「これで自分で綺麗にしてくださいね」と言って、去って行ってしまった…! まだ20歳で元気な日々を過ごしていたのに、突然、難病になり、トイレで漏らして、その始末をしたことはショックで、そのあと、感情がまったくの白紙状態になる「失感情症状態」に陥ってしまったという。だが驚いたのは、著者がその看護師を、当時も今も「ひどいとは思っていないし、恨んでもいない」と述べていたこと。

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 著者は、カフカが残した、

悲しみは最悪のことではない。(「日記」著者訳)

という言葉の意味が初めてわかった気がした、と記している。悲しめるのは、まだ感情が生きている状態で、さらにもっと底がある。人に怒るためには、いくらかの精神的余裕が必要で、当時はその余裕さえなかった…という自らの壮絶な体験を踏まえた考察に、私がこれまで想像していた「闘病生活」の概念が破壊され、自分のちっぽけな体験のみで物事を見ることの危険性を感じた。

絶食後におそるおそる口に入れたヨーグルトが爆発!?

 入院して、潰瘍のできている大腸を休めるために行われた1カ月以上もの「絶食」のエピソードも、想像の域を遥かに超えていた。点滴で栄養は足りているのに、胃は食べ物を求め、喉は何かを飲み込みたがり、顎も何かを嚙みたがる。さまざまな部位からそれぞれの訴えかけがあり、混乱したそうだ。また、長く絶食して何も味わわずにいると、舌は鈍感になりそうだが、逆にものすごく過敏になったらしい。

 ついに絶食が終了し、質のいいヨーグルトひとさじをおそるおそる口に入れた途端、おいしいとか、そういう生易しいものではなく、とんでもなく強烈に味がして、口の中で「爆発」としか言いようがない現象が起きたほどだったそう…! 著者は元々、食に関心が薄く、食事なんて錠剤になればいいと思っていたそうで、それは私も多忙な時によく思うことなのだが、それを実際に実践するとなると、洒落にならない辛さが待ちうけていることを知り、「食事と排泄」という人間の機能を改めて考え直さずにはいられなかった。

 潰瘍性大腸炎は、現在、安倍晋三元首相が辞任の理由として挙げた持病でもあり、注目されている難病だ。しかし、本作を読んでいると、症状の重さに大変な差があり、同病者だからといって、同じ苦しみを共有しているわけでもないことがわかる。それぞれに、他者には想像することですら困難な苦悩を抱え、孤独に苦しんでいることもあると知った。それは、もしかすると、病気に限ったことではないのかもしれない。

 傍から見ると一見“普通”でも、見えないところで人知れず苦しんでいる人がこの世界にはたくさんいるに違いない。「食べることと出すこと」という当然と思われる機能ですら、私自身そのことをよくわかっていなかったように、自分のちっぽけな経験や想像力に頼ることなく、まずは人に寄り添い、話を聞くその姿勢を忘れないようにしたいと切に感じた。

文=さゆ