「産むんじゃなかった」と悔やむ母と「いっそ死んでくれ」と願う娘…おおたわ史絵『母を捨てるということ』に綴られた“依存症家族”の苦悩

暮らし

公開日:2021/3/14

母を捨てるということ
『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)

 胸に突き刺さるようなタイトルに思わず息を飲む、医師・おおたわ史絵さんの著書『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)。いわゆる〈毒母と娘〉の本ではあるのだが、あまりに衝撃的すぎて言葉を失ってしまうかもしれない。「産むんじゃなかった」と悔やむ母と「いっそ死んでくれ」と願う娘…40年にわたる壮絶な親子の葛藤を通じて描かれるのは、母からの呪縛をめぐる物語だけではなく、「依存症」の家族を持つことのリアルな苦悩。実はおおたわさんの母は重度の「薬物依存」に陥り、日常生活は長い間破綻したままだったのだ。

 心やさしく仕事に熱心だった医師の父と元看護師で専業主婦の母。実は2人の道ならぬ恋の果てに生まれた著者は、他人からの悪意ある評価を娘の成功で上書きしようとする母の「異常に熱心な教育」を幼い頃から受けて育ったという。何をしても褒めず、「ほかの子とおなじでどうするの? ふつうでいいわけないでしょ!」と時に暴力をふるってまで勉強を強いる母。自己肯定感がないままに育った著者は、いつしか「母が望むような大人になって成功するよりほかに自分の価値を上げる手段はない」と思うようになり、母の期待する「医師」への道を自然に志向するようになる――これだけでも母の異常性を感じるには十分だが、状況がさらに悪化するのはこのあとだ。病気の後遺症で腹部発作を繰り返す母は医師である父から長いこと鎮痛剤や睡眠薬をもらっていたが、「オピオイド」という注射製剤を使うようになってから重度の「薬物依存」に陥ってしまったのだ。

 オピオイドとは1970年代になって使用されるようになった鎮痛剤であり、決して違法薬物ではない。だが実は麻薬によく似た化合物であり、鎮痛効果は高い反面習慣性も強く依存症になる人が多い危険薬物なのだ。著者の家では父が医師だっただけに比較的容易に手に入ったことが仇になり(父自身はそこまでの危険性を理解していなかった)、母が求めるままに渡した結果、薬物依存が深刻化してしまう。

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 いつしか家の中には注射器が転がり、母は身体中に痛々しい注射痕ができても薬を求めて罵り続け、意を決して薬を取り上げても入院させても状況は悪化の一途…そんな生活から抜け出すべく、著者は必死に勉強して医者として自立し実家を離れる。

 だが最悪な環境から逃れたとはいえ、実は年老いた父に母を全面的に押し付けただけのこと。常に頭に母への心配がよぎる著者は、薬物依存者回復施設「DARC」で話を聞き、依存症専門の医師の診察を受け、母の依存症に本格的に向き合いはじめるのだ。

 実は本書の大きなテーマは「依存症家族はいかにして道を切り拓くか」だ。辛いだけだった母とのことなど本当は書くつもりはなかったという著者だが、同じように依存症で苦しむ人のために「医師として、依存症家族として、依存というモンスターを知るヒントとなる話題をできる限り書いてみたつもりだ」と、当時の生々しい体験を痛々しい心の内と共に正直に綴る。

 父亡き後、あまりの母の暴挙に堪えかね「母を捨てた」と自らを振り返る著者。「捨てる」という言葉の強さに思わずひるむが、当時の困難な状況はそうした著者の選択も「自分を守る」上では必要なことだったはずだ。家族だからといってここまで苦しむ必要は果たしてあるのか。その理不尽さに考えさせられる一方で、「切りたくても切れない絆」でつながった家族が寄り添わなければ、誤解と偏見にまみれた社会の中で依存症患者は簡単に行き場を失ってしまうかもしれないとの不安も頭をよぎる。そのアンビバレンツな状況に引き裂かれた当時を「知識のなさから不完全な結果を招いたまま置き去りにした人生に、後悔の気持ちを拭い去れずにいる」と著者は振り返る。

 書くことは苦しい作業だったに違いない。だが本書のおかげで誰もが「依存症の真実」を知ることができるのは貴重であり、まずはその勇気に感謝したい。本書が紹介する最新の知見は間違いなく多くの依存症家族の力にも、そして我々ひとりひとりが「誰もが生きやすい社会」を考える一歩にもなることだろう。

文=荒井理恵