尾崎世界観4年半ぶりの純文学『母影』――カーテン越しに母親をみつめる少女の視線… その世界を巧みに描く筆致は圧巻!

文芸・カルチャー

更新日:2021/3/21

『母影』
 『母影』(尾崎世界観/新潮社)

 子どもという生き物は、何もわからないようでいて、どこか鋭いところもあって、その場に漂う空気を嗅ぎ取ることなど容易くできてしまう。そんな子どもだけがもつ視点を鮮やかに描き出したのが、尾崎世界観氏が描く『母影』(新潮社)。第164回芥川賞候補作にも選ばれた話題作だ。

 物語は母子家庭で暮らす小学生の少女の視点で進んでいく。少女には友達がいない。放課後はいつもお母さんの勤めるマッサージ店に入り浸っている。少女の居場所は、お母さんがお客さんを施術しているすぐ隣の空きベッド。カーテンだけで仕切られた場所に少女は身を潜め、お母さんの様子をうかがっている。少女から見えるのは影の動きだけだ。カーテン越しのお母さんの姿。仕切られる子どもと大人の世界。「お客さんのこわれたところを直している」というお母さんは、昔はおばさんやおばあさんも直していたのに、最近はおじさんばかりを直すようになった。そして、お客さんがおじさんばかりになってから、お母さんは日に日に苦しそうになっていく。

 少女にとって、世界はわからないことだらけだ。だけれども、わからないけど、わかる。カーテンの向こう側で行われている行為が何なのかはわからなくても、お母さんが、「変なことをしている」ということには気づいている。

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 だが、少女はお母さんとお客さんのやりとりに不快感を覚えるだけで、それを悪いことだと思っているわけではない。お母さんを「変」と感じるだけだ。そんなお母さんに愛情を注ぎ続ける少女の姿はあまりにも無垢だ。そして、その少女の純真さに比べて、周囲の大人たちはなんて醜いのだろうかと呆れてしまう。お客さんの中には、少女の同級生の父親もいるし、担任の先生も「親としてこんなことをすべきではありません」なんてお母さんを説教しながら施術を受けている。たまにお店にくる少女の「本当のおばあちゃんじゃないおばあちゃん」は、お母さんに施術について何かを命令し、お店が混むほど元気になっていく。お母さんは店が混むほど疲れ果て、元気がなくなっていくというのに、少女以外の人は誰も気にも留めない…。性根が腐った大人の姿が描かれるほど、少女の純粋さが際立ち、読者の心をズキズキと痛くさせる。

 私はお母さんがわからなかった。お店で何をしているのかも、今ここで何を考えているのかも、ぜんぶわからない。でも、私の手はちゃんとお母さんをわかってて、その手から勝手にお母さんの変が入ってきた。お母さんの変で苦しくなる。お母さんの何が変で、私のどこが苦しいのか、それだって言葉にできなかった。

 少女の子どもらしい視点は、彼女の日常すべてに向けられていく。少女の目で見ると、お客さんのクツヒモは、ほどけてお客さんの足から逃げたがっているように見えるし、家の近くの選挙ポスターは「大人のくせに、ぜんぶひらがなのおかしなおじさん」として認識される。物事を言葉以上の何かでとらえる想像力をもつ少女。その世界を巧みに描写する尾崎世界観氏の筆力は圧巻だ。

 この物語に触れている間、ずっと胸が締め付けられる思いがした。それは、私が大人だからだろう。大人の世界のことがわかってしまっているからだろう。これから少女が成長した時、どうなってしまうのかと、考えたくない未来に想像を巡らせてしまう。この物語には、この世界の歪さがありありと描き出されている。胸が苦しくなること必至の一冊。

文=アサトーミナミ

 少女にとって、世界はわからないことだらけだ。だけれども、わからないけど、わかる。カーテンの向こう側で行われている行為が何なのかはわからなくても、お母さんが、「変なことをしている」ということには気づいている。