「自分を尼にしてくれ」と言い放ち、僧の目の前で自らハサミを黒髪に…!? 久世番子が描く、極楽コメディ!

マンガ

公開日:2021/12/5

ぬばたまは往生しない
『ぬばたまは往生しない』(久世番子/白泉社)

「往生」とは、仏教用語で、死によって現世を去ったのちに極楽浄土へ往(ゆ)き、生まれかわること。平安時代、人々はつらく悲しいことの多い現世への望みを捨てて、来世こそは幸せになれるよう願いをこめて、仏の教えを守り徳を積むようつとめた。が、『ぬばたまは往生しない』(白泉社)で久世番子が描く姫君は、なかなかに不信心、不謹慎なお人である。

 黒々とつややかな御髪の美しさから“ぬばたま姫”と称され、求婚する殿方のたえない藤中納言の娘。一向に男たちに見向きもしない彼女の縁談がようやくまとまったかと思いきや、物の怪が憑いたとの噂が流れ、祈祷に呼ばれたのが文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身と称賛される、見目麗しい僧侶・白顕。ところが屋敷を訪れると、姫は物の怪に憑かれているどころかすこぶる元気で、御簾を押しのけ堂々と姿をあらわす始末。さらに「私を尼にしてくださいませ!」と無茶ぶりをし、なんとか思いとどまらせ結婚させようとする白顕を策で弄し、婚約者の悪評をあぶりだしたあげく、白顕の目の前で長い髪をみずから短く切り取ってしまう。とんだおてんば姫である。

 どうしてそうまでして出家したいのか。よほど思いつめた事情があるのかといえばそうではなく、彼女が望むのはただただ自由に生きて、広い世界を見聞きすること。底抜けにカラッとした気性と、時代の常識だからと理不尽には屈しない正義感で、白顕を翻弄する彼女の姿は、読んでいてとても心地がいい。実は口がわるくて、五重塔再建のためにしぶしぶ仕事を引き受け続けている白顕とのバディ感も、いい。白顕の母は、夫が訪ねてこなくなったことで世をはかなみ出家したが、それでも救われずに苦しみ続けた女性。仏に仕える身でありながら、仏の教えだけでは人は救われないと身に沁みて知っている彼だからこそ、尼になりたがるぬばたま姫に苛立つと同時に、そのまっすぐな気性に救われてもいく。

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 ぬばたま姫の真似をしたのか、突然みずから御髪を切ったという姫君。大勢の男女が一堂に会し、一晩中仏に祈りを捧げる参詣のさなか、現れる痴漢。さまざまな騒動をともに解決していく2人の珍道中を通じて、平安時代の人々がどのような思いで暮らしていたかも浮かびあがってきて、非常に興味深い。「説教の講師は顔よき(説教するお坊さんはイケメンのほうがいい)」という『枕草子』の一節を引用しながら、白顕の追っかけをする女房のエピソードもあるが、推しを尊ぶ文化は、昔も今も変わらないのだろう。説教の内容より顔重視、なんてぬばたま姫以上に不信心かもしれないが、夢中になれるものを見つけることで日々を生き抜く糧とするのは、極楽浄土を願う気持ちと何も変わらないような気もする。

「往生」には、困り果てる、閉口するといった意味もあるが、とにかく前向きでバイタリティあふれるぬばたま姫は、どんな騒動に遭遇しても、決して往生したりはしない。そんな彼女にふりまわされる白顕とのかけあいを、いつまでも読んでいたくなる作品である。

文=立花もも

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