あなたなら儲けたお金を何に使う? 羽田圭介の『Phantom』が問う!

文芸・カルチャー

更新日:2021/12/22

Phantom
『Phantom』(羽田圭介/文藝春秋)

「儲けたお金を一体何に使うべきか、あるいは使わずにおくべきか」――羽田圭介氏の『Phantom』(文藝春秋)は、この問いへの答えを求めて右往左往する人々が登場する小説だ。そして、この問いに、羽田氏は安易で短絡的な結論を提示せず、読者に熟考と熟慮を促す構造を採っている。読者は、否が応でも自分のお金との付き合い方を検討させられるだろう。

 主人公は外資系食品メーカーの事務職を務める、元地下アイドルの華美。彼女の収入は決して多くはない。だが、自宅では株式投資に汲々としており、常に市場の潮目を読むことに血道を上げる。生活費を切り詰めているのは、投資にかかるコストをなんとか捻出するためだ。

 一方、華美の恋人の直幸の金銭感覚は、華美とは一見まったく異なる。成功者の自己啓発本を読み耽り、怪しげなオンラインコミュニティに入り浸り、ついには「使わないお金は死んでいる」と華美を笑う。そんな直幸から見ると、株式に夢中になっている華美は、資本主義の奴隷のように見えたのだろう。直幸は特に「FIRE」と呼ばれる、経済的自由を獲得して早期に退職する人々の本に触発されている。

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 序盤は株式にまつわる専門用語が飛び交い、経済音痴の筆者はこのまま置かれてゆくのか……と思ったところで劇的に物語がドライブし始め、新たなフェイズへと移行する。直幸が属していたコミュニティに興味と不信感を抱いた華美が、ネットを使ってリサーチを敢行。すると、スエという教祖的な男性が、山奥で彼らの理想郷である「ムラ」を築いていることが判明する。

 ムラのシステムのモデルは、オウム真理教と連合赤軍を思わせる。前者については、森達也氏がその内部で撮影した『A』『A2』というドキュメンタリー映像作品と続編的な『A3』というルポルタージュも刊行されている。後者については、学生運動が内紛によって潰えてゆく過程を描いた、若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が、当時の空気を生々しく伝えている。

 そんなムラの住人は、外界との接触をほぼ禁じられたまま、空腹、短眠、運動、瞑想などによって、自分で考える能力を失ってゆく。その様子を、華美は以下のように述べている。

 深夜までムラの中のどこかでそれぞれ何かやっていたりして、足りない睡眠時間と激しい運動の組み合わせにより、疲労が血流の良さで誤魔化され、己が無敵な存在に生まれ変わったかのような実感をもたらす。これが毎日続けば短眠でどんどん脳細胞も死に、自分で物事を考えることが苦手になり、末の言葉をスポンジのごとく吸収していくようになっていくだろうと華美は感じた。

 ムラはオウムや連合赤軍と同じ轍を踏もうとしているようだ。そうであれば、直幸を洗脳から解かなければならない。そう考えた華美は、直幸をムラから取り返すべく、屈強な男性の助けを得てムラへ向かう。そこでは、スエのおそるべき行為が許されており、それが露わになってから信者たちの態度も少なからず変化する。

 華美と直幸の金銭感覚は異なると先述したが、一方で同様の思考回路に立脚していたのでは? とも思える。つまり、お金に執着して増やしたがるか、お金に頼らずコミュニティ内での繋がりを重視するか――いずれも資本主義とどう向き合うか、という問題に集約されていく。そして、小説内で両者の思想がせめぎあうことによって、安直な二項対立が回避されている。この本に触れた読者は、自らの金銭感覚が相対化されるのではないだろうか。そうした実利的な効能を持った本としても読める、稀有な小説だと思う。

文=土佐有明