球春到来! 「バッティングセンター」の知られざる歴史と今を解説!

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更新日:2022/3/24

日本バッティングセンター考
『日本バッティングセンター考』(カルロス矢吹/双葉社)

 バッティングセンターに行ったことがなくても、ドラマやアニメ、CMなどで見たことがあるはずだ。それくらいバッティングセンターは文化として日本に溶け込んでいる存在である。

 そんな全国津々浦々のバッティングセンターを取材し、その歴史や知られざる人間模様の数々を収録しているのが『日本バッティングセンター考』(カルロス矢吹/双葉社)だ。本書に収録されている内容の一部を紹介していきたい。

日本で最初のバッティングセンターはどこ?

 1970年代には全国で約1500カ所あったというバッティングセンターだが、2006年には半数以下に。明確なデータはないようだが、おそらく2022年現在、その数はさらに減っていることだろう。とはいえ、現在、国内外で1500以上の店舗を持つイタリアンファミリーレストランのサイゼリヤと同じくらいの規模であったことを考えれば驚くべき数字だ。

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 そんな国民的娯楽施設としての地位を築いたバッティングセンターの“元祖”はあまり知られていない。日本のバッティングセンターの祖は、東京・錦糸町駅前の「東京楽天地」ビル屋上で「楽天地バッティングセンター」として1965年に誕生。爆発的な人気を集め、全国に波及していったそうだ。

日本バッティングセンター考

日本バッティングセンター考

 しかし、ブームは永遠に続かない。ボウリングやJリーグなど、さまざまな娯楽のライバルの登場により、徐々に下火になっていく。複合型施設として復活したり、とある野球選手の人気によって客足が一時的に復活したりするなど現在に至るまでの歴史が語られている。

日本だけじゃない世界のバッティングセンター

 バッティングセンターという業態が成り立っているのは主にアメリカと韓国、そして日本。

 この3つの国のバッティングセンターに違いはあるのか。どうやらそれぞれ違っているようで、アメリカはアミューズメント施設としてではなく、あくまで打撃練習場。カップルや友達同士で気軽に足を運ぶ感じではないようだ。

 韓国はアメリカと真逆。練習で訪れるのではなく、あくまで楽しむため。アミューズメント施設としての地位を築いている。

日本バッティングセンター考

 そして日本は二つの中間で、気軽さもありながら競技の再現性も高く、練習にやってくる人、遊びに来る人などさまざまだ。

 そして上記3カ国の事情に加え、本書ではタイ・バンコクに作られたバッティングセンターについても語られている。タイで生まれたのは2014年。現地に住む日本人が一念発起して作りあげたそうだ。

 タイはアメリカや韓国、日本のように野球が盛んな国ではないので、ターゲットはバンコクに住む日本人だった。ピッチングマシンの輸入や、タイでは前例のない設営工事に苦慮しながらも何とかオープンにこぎつける。

日本バッティングセンター考

日本バッティングセンター考

 最初こそお客のほとんどは日本人だったが、次第に現地の人も増えてきているそう。というのも、タイでは野球を題材にしたアニメ『タッチ』や、登場キャラが野球を楽しむ場面が描かれる『ドラえもん』などが放送されて人気を博しており、自分たちも野球をしてみたいという人が多くなっているのだとか。

 コスプレや日本語が世界各国で人気なのはもはや当たり前の状況だが、タイで「日本のアニメの影響で野球をやってみたい」と思う人がいるとは……。ジャパニメーションの影響力、あな恐ろしやである。

 本書では、他にも東日本大震災後の宮城県気仙沼市で息子のためバッティングセンターの設立に尽力したオーナーの話や、後継者問題、ストラックアウトとバッティングセンターなど、さまざまな視点からのバッティングセンター考が綴られている。

日本バッティングセンター考

 野球に興味がなくても、日本の娯楽文化の一つとしてあらためて見直してみると、面白い発見があるかもしれない。

文=冴島友貴

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