ヨシタケシンスケ作品徹底解剖「ユーモア・哲学・自分・世界」を軸に33冊の絵本をマッピング!【保存版】

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/3

ヨシタケシンスケ

 今や、絵本といえば、の代名詞ともいえるヨシタケシンスケさん。2013年に『りんごかもしれない』でMOE絵本屋さん大賞を受賞して以来、2014年と2019年を除いて、毎年大賞を受賞し続けている(ちなみに1位を逃した14年も『ぼくのニセモノをつくるには』で9位、19年は『ころべばいいのに』で2位、『それしかないわけないでしょう』で4位と入賞は果たしている)。驚くべきはその支持率のみならず、この10年近くで刊行されてきた作品数だ。昨年は『あんなに あんなに』で大賞を受賞すると同時に、『あきらがあけてあげるから』も9位に選ばれているのだが、趣向の異なるこの二作が、ヨシタケさんらしさを端的にあらわしているともいえる。

それしかないわけないでしょう
『それしかないわけないでしょう』(ヨシタケシンスケ/白泉社)

『あんなに あんなに』は、子どもの成長とともに家族の記憶をふりかえる一冊だ。〈あんなにほしがってたのに〉〈あんなにわらってたのに〉といった言葉に続く〈もうこんな〉という短い言葉。〈あんなにちいさかったのに〉〈あんなになきむしだったのに〉〈あんなにおおゲンカしてたのに〉……。

 たくさんの〈あんなに〉大変で愛おしかった瞬間が、はっと気づいたときには〈もうこんな〉になってしまうその驚きに、あるある、とふふっと笑わされたかと思うと、胸がきゅっと切なくなったりもする。〈あんなに〉たくさんの思い出を重ねても、思い出が足りることなんて一つもないのだという描写にも。……なんて、〈あんなに〉しんみりして、互いの大切さを理解したはずなのに、次の瞬間にはやっぱり大喧嘩していたりする、人の感情の不確かさにも。子どもに、というよりは、大人が読むと、うつろう時の儚さと尊さに、よりじーんとしてしまう一冊。絵本大賞を受賞するのも、納得である。

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 対して『あきらがあけてあげるから』は、食べたいおやつの包み紙ひとつ自力ではあけられない少年が「いつか大人になったらなんだって開けられるようになるはずだ!」と夢を見る空想の物語。瓶のふたをパカっとあけてお母さんを助けてあげるだけでなく、カギを落とした排水溝のふた、恐竜の化石のかくれた岩、えらそうにしている政治家のチャック、地球の断面……何から何までなんだって開けられるようになるんだと、少年の夢は広がっていく。まねっこゲームで何かになりきることで自分はなんにでも変身できると遊ぶ子どもの『なつみはなんにでもなれる』や、大爆発した寝ぐせを見て広がる妄想の世界『ねぐせのしくみ』をはじめ、ヨシタケさんは、日常のそこかしこに転がっているなんの変哲もないモノや行動を、無敵の武器に変えていく。想像力によって、世界はどれだけでも広くおもしろいものに変わっていくのだということを、ユーモラスに教えてくれるのだ。

かみはこんなに くちゃくちゃだけど
『かみはこんなに くちゃくちゃだけど』(ヨシタケシンスケ/白泉社)

 最新作『かみはこんなに くちゃくちゃだけど』のように、発想の転換で現状はどれだけだって変えられるのだということも、ヨシタケさんは描きだす。歌手になりたいけど、髪はくちゃくちゃ。欲しいものは手に入ったけれど、第一希望じゃない。素敵な友達はできたけれど、めざしていたことは形にならなかった。

 そんなたくさんの〈けれど〉の順番をひっくりかえせば、言ってることは同じでも、光の当たる場所が変わる。また、常識や世間の目にしばられて、人はいろんなことを我慢してしまうけれど、けれどの順番を自分で決められるのと同じように、ルールも解決策も自分で見つければいいんだということを描きだすのが『あつかったら ぬげばいい』。

あつかったら ぬげばいい
『あつかったら ぬげばいい』(ヨシタケシンスケ/白泉社)

 タイトルどおり、どんなにみんなが耐えていても暑かったら上着を脱げばいいのだ。太っちゃったら、仲間を見つければいいし、人の不幸を願っちゃったら、波打ち際に書けばいい。“○○しなきゃいけない/しちゃいけない”に押しつぶされないように、だけど罪悪感を覚えないギリギリのラインで、自分を自由にラクにさせてあげる方法を、ヨシタケさんはやっぱりユーモラスに描きだす。

 根底にあるのは「世の中、たいていの争いごとは、言い方がきっかけで起きている」というヨシタケさんの想い。ほんのちょっと言い方を変えるだけで、ほんのちょっと視点をずらすだけで、世の中はずっと生きやすくなるし、争いごとも少なくなるんじゃないか。そんな作品づくりへの想いが語られた『ものは言いよう』など、エッセイ集もおすすめだ。

ものは言いよう
『ものは言いよう』(ヨシタケシンスケ:著、MOE編集部:編/白泉社)

 より深く“考える”ことが好きな人は、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』などの著書である伊藤亜紗の監修のもと描かれた『みえるとかみえないとか』もおすすめだ。ある惑星にたどりついた男の子は、前もうしろも見渡すことができるという惑星の住人に「え!? キミ、うしろがみえないの?」「かわいそう!」「背中の話はしないであげようね」などと気を遣われる。

 だけど、私たちと同じ身体のしくみをもった男の子は、本当にかわいそうなのだろうか? さまざまな身体の特性をもった宇宙人たちと出会ううち、男の子はやがて“生まれつき全部の目が見えない”人に出会う。その人も、かわいそうなんだろうか? いったいその人は、どんなふうに世界を見ているんだろう? 人によって“普通”は違う。簡単に憐れんだり、驕ったりする前に、まずは相手の世界を知ろうとしてみてはどうだろう。そうすれば互いのできることできないことを補い合ってともに生きていくこともできるんじゃないかと思わされる。

 思えばデビュー作『りんごかもしれない』も、りんごに見えているモノが実はとんでもなく違うもので、正面からは隠された側面には、皮をむいた内側には、何かが隠されているかもしれない……と想像を膨らませる絵本だった。ヨシタケさんは「えっ、本当に?」と気軽に問いかけることによって、私たちの思いこみも打ち崩してくれる。

りんごかもしれない
『りんごかもしれない』(ヨシタケシンスケ/ブロンズ新社)

 強すぎる、偏った思いこみは、大切な人に出会うチャンスも、逃してしまう。世の中には、『みえるとかみえないとか』のように、他者の境遇をフラットに想像できる人ばかり存在するわけではない。どうしたって想像力をもつことのできない人から、傷つけられて、苦しめられて、それでも逃げちゃいけないなんて頑張っていると、どこにも行けなくなってしまう。そういうときは、逃げたっていいのだ。逃げて、自分の居場所を探して、自分を守ってくれる人と、自分の守るべき人を見つけて。そうしてみんな、幸せになればいい。今すぐには見つからないかもしれないけれど、逃げなければいつか出会うべき誰かには、届かない。そう背中を押してくれる『にげてさがして』のように、決してポジティブなことばかりを描かないのも、ヨシタケさんの魅力だ。

 世界は、広い。「こんな商品、あるかしら?」と想像したものが、自分の空想でしかないと思っていたものが、どこかに見つかるかもしれない。現実には出会えなくても、本を開いたらその中に、願っていた唯一無二の友達がいるかもしれないし、「なんだろうなんだろう」と考えることが、自分の感性も知識もどんどん豊かにしてくれて、可能性を広げてくれる。ヨシタケさんの本をきっかけに、誰もが無限の旅に出かけられるはずだ。

文=立花もも

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