僕だけじゃない、先輩の片思いも動き出す……“少し不思議な夏”の物語『忘れさせてよ、後輩くん。』

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/1

忘れさせてよ、後輩くん。
忘れさせてよ、後輩くん。』(あまさきみりと/KADOKAWA)

 何かを変える事、前へ進む事が本当に正しいのかどうかは誰にもわからない。大きな人生の決断から、日常のささやかな悩みまで現状維持が優先される事柄は多い。だが人は時に、突きつけられた現実から逃げるために現状維持を選んでしまう。それを自力で破壊するのは困難で、誰かの助けや後押しが必要となる。その「誰か」が少し不思議な超常からの使者であったとしたら――。

 高校3年生の白濱夏梅は片思いをし続けている相手がいる。別の街の大学へと進学してしまったひとつ年上の広瀬春瑠。だが彼女は、既に亡くなっている夏梅の兄(白濱晴太郎)への片思いを忘れられずにいた。“幸運のイルカと出会えたら【止まっている片思い】が動き出す”――心の片隅にある期待からか、ふとそんな噂話を思い浮かべる夏梅。そんな彼の前に唐突に現れたちょっと不思議な少女・海果。イルカの髪飾りをした少女に導かれるように夏梅と春瑠は再会を果たす。凍りついた初恋を溶かす、苦しくも熱い夏がはじまろうとしていた。

忘れさせてよ、後輩くん。

 あまさきみりと氏による『忘れさせてよ、後輩くん。』(KADOKAWA)は、兄の死で止まってしまった夏梅と春瑠の片思いが「不可思議な季節」と呼ばれる力で揺さぶられ、弟と兄という家族の愛憎、後輩と先輩という関係性、自己犠牲と自己欺瞞の葛藤など、様々な感情が複雑に絡み合いながら動き出していく青春物語だ。著者は『キミの忘れかたを教えて』(KADOKAWA)で描いた現実から逃げ続けていた主人公と、芸能界という孤独の中で戦い続けるヒロインが青春を取り戻していく運命の物語が高い評価を受け、『このライトノベルがすごい!』(宝島社)でのランクインも果たしている。

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 本作を読み始めてすぐに、クラスメイトとの何気ない雑談で出てくる言葉がある。

「お前が片思いしている限り、お前も誰かの片思いを静かにへし折ってるのかもなあ」
「……知るか」

 読者側としてもまあそんなものだよなと軽く読み流す、たわいもない雑談。思春期の学生のありふれた片思いの連鎖。そうであればただの雑談で終わるこの言葉は、読み進めるほどに思い起こされ、じわりじわりとその重みを強めていく。

毎日、毎日、毎日──春瑠先輩は思い出の地を巡っては撮っていたのだ。
「……白濱夏梅では愛されないから、白濱晴太郎の代役に甘んじているんですか?」
たぶん、怖がっているんだ。
春瑠先輩にとって不要な人間になってしまう瞬間を。

 夏梅の平穏な家庭環境を一方的に破壊しておきながらあの世へ旅立ってしまった兄・晴太郎。彼を失い壊れかけた春瑠を救う方法として夏梅が選んだ答えである兄の代替。その現状維持だけで精一杯の夏梅は気付かない。ありのままの夏梅をずっと見つめ続ける後輩・高梨冬莉の想いに。

「……次第に陽炎と現実の区別ができなくなるらしいの……渇望が満たされたと勘違いし
て……『現れた幻は生きている人間』と本気で思い込み……最後は……」
【あの人がいたような気がしたんだけどな】 

 海果との交流から、自分達が〝陽炎の夏〞と呼ばれる超常現象に触れはじめている事を知る夏梅。死んだ晴太郎の〝陽炎〞は、海果と春瑠が「逃げるための現状維持」を続ける事を許さず、破滅か決断かへのカウントダウンがはじまる。

「でも……夏梅くんを見ていると、どうしても晴太郎先輩を思い出してしまうんだ。あの人とキミは、あまりにも似すぎているから……」
「すみません……僕が……僕が偽者に憧れてしまったから……」
「ううん、それで救われた。夏梅くんがいてくれたから、今の広瀬春瑠がいるんだよ」

 ただの初恋、ただの片思いならどうとでもなったかもしれない。逃避や依存もひとつの救済だ。現状維持も貫き通せばそれこそが唯一無二の正解になる日も来るかもしれない。だが〝陽炎の夏〞はそれぞれの心の底に隠していた「認めたくないもの」から逃げることを許さない。

 2人が下した決断とその顛末には、恋愛の結果を見届けるというものに留まらない感慨を呼び起こす。人は誰しも「本物」に憧れる。自分が自分であるという事。その自信を得るのは実に大変だ。そのためには時に外から強制的に背中を蹴っ飛ばされる事も必要なのだろう。そして夏梅と春瑠の物語に欠かせぬ存在である冬莉。彼女もまた「止まっていた片思い」を巡る物語の主人公だ。第2巻は7/1発売。「不可思議な季節」がみせる次の顔が少し恐ろしくも非常に楽しみだ。

忘れさせてよ、後輩くん。

文=エノモト

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