嫌な予感。この流れだと間違いなく――/澤村伊智「高速怪談」【全文公開③】

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/11

『ぼぎわんが、来る』の澤村伊智氏による、小説の形をした怪談集『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)。
子連れで散歩中に見かけた怪しげな物件、語ってはいけない怖い小説、新婚旅行で訪れた土地での出来事…など、暑い夏の夜にゾクゾクする珠玉の7編を収録。
本連載では、「高速怪談」を7回に分けて全文公開! 関西方面に向け、乗り合わせて帰省をする男女5人。ひょんなことから車内で怪談会がはじまって…。ラストまで見逃せない傑作短編。

汀さんの話

 真柄さんの運転でセレナは伊勢湾岸道をひた走っていた。名神高速だと遠回りになるせいもあったし、四日市あたりの湾岸の夜景を見たい、と汀さんが提案したせいもある。今の雰囲気を変えたい。そんな意図があるのは察しがついた。

 浜松サービスエリアを出発してから、車内では口数が減っていた。かといって眠っている人は誰もいない。僕も石黒夫妻も、後部座席の堀さんも起きていた。

 あの絵のことが気になっているのだ。僕はそう推測していた。少なくとも自分はそうだった。美貌と言って差し支えない顔立ち、微笑、それぞれ別方向を向いた目。

「……あのね」

 汀さんの声がした。

「漫画家の奥さん同士の仲良しグループってあるのね。そこで少年漫画の大御所の人の奥さんから聞いたんだけど」

 石黒さんでなく僕たちに喋っているのが分かった。真柄さんも気付いたらしく、ハンドルをこつこつ叩きながら「うん」と相槌を打つ。

「その大御所さん、事務所で作画してるのね、何人もアシスタントさんが詰めて。今は凄く新しい、オフィスですって感じの事務所だけど、昔はアパートの一室だったんだって。大御所さんとチーフアシスタントが机で描いて、他のアシさんたちは畳にみかん箱置いて、みたいな」

「何か見たことあるわ、その絵面」

 真柄さんが口を挟んだ。「畳に原稿散らばってるとこまで浮かんできた」

「かもね」汀さんはフッと笑うと、「でね、遅くまで詰めてる時に、眠気覚ましにってみんなでいろんな話をするのが慣わしだったの。お題を決めたりして。今で言ったらテーマトークみたいな。で、ある日チーフアシさんが『怪談話をしよう』って言い出して、みんなで順番にしていったんだって」

「ほほう」

 軽く返す真柄さんの隣で、僕は身体を硬くする。嫌な予感がしていた。この流れだと間違いなく――

「チーフアシさんが最初に『実家近くのダムは夜中になると赤ちゃんの泣き声が聞こえる』って地味なの披露して。で、大御所さんもそういうの好きだったから、とっておきのパンチのあるやつ話したの。『近所の銭湯に行くといつもロッカー脇の床に、ラップをかけた炊き込みご飯が置いてある』って」

「なにそれ」

 真柄さんが突っ込んだ。僕は黙って高速道路を見つめている。

「分からんねんて」答えたのは石黒さんだった。「番頭さんとかに訊いたりもせんかったらしいわ。ていうか訊けるか? 『そこで死んだヤツがおってそいつの好物やった』って言われたら二度と行かれへん。推測するだけやったらまだしも、実際答えられたら無理やろ」

「たしかにな」

「でね」汀さんが声を張って、「とりあえず場が一巡したの。大御所から新人まで一席ずつ怪談をぶったわけ。で、じゃあまたチーフアシさんからってなった時に、新人の子がいきなり言ったんだって――『何で飛ばすんですか?』って」

「……え?」

 僕は思わず訊いた。

 振り返ると、汀さんが意味深な表情で、

「当然みんなもそんな反応したわけ。大御所もチーフアシさんも。そしたらその新人さんはね、『えっ、この子は話さなくていいんですか? 今日入ったばっかりだからですか?』って、すぐ隣のみかん箱を指差したの……誰も使ってない、誰も前に座ってないみかん箱を」

 心臓が縮み上がった。呻き声を漏らしそうになった瞬間、

「うわ」

 真柄さんが大げさに言った。どすんと背もたれに身体を押し付け、「なんなんそれ、なんなん」と繰り返す。

「さあ」

 くすくす笑いながら汀さんが、「当然ちょっとした騒ぎになったんだけど、『疲れて幻覚見てるんだろう』って話にまとまって、新人さんに仮眠取らせたんだって。で、起きたら自分が言ったことも、怪談会になったことも忘れてたんだって。『やっぱり疲れてたんだ』ってみんな納得して、朝まで頑張って原稿上げておしまい」

「その……科学的に説明できるわけですね」

 僕はホッと胸を撫で下ろしながら言った。汀さんはうなずくと、

「そうそう。でね、その大御所さん、その体験をきっちり漫画にして発表してるの。雑誌に読み切りで掲載されたのかな。短編集にも入ってるって」

「山岸凉子みたいですね」

 遠くから堀さんが言った。二列目の背もたれから覗き込むようにして、

「『ゆうれい談』って漫画。同業者から聞いたり、読者から投稿された怪談を集めたエッセイ漫画です。本人の体験談も入ってます。文庫で読めますよ」

「大御所は転んでもただでは起きんな」

 石黒さんが唸った。

「だからさ」

 汀さんが彼の肩をぽんぽんと叩きながら、

「あんたもさっきの絵、絶対に作品にして発表しな? 実話風でもいいよ。頭に浮かんだ絵を描いた、不気味な絵だった、そこから奇妙な出来事が――みたいな嘘エッセイ漫画とかさ。ビビッてないで」

 なるほど、と僕は思った。汀さんがこんな話を始めたのは、旦那に発破をかけるためだったわけだ。全身の緊張が解きほぐれていくのを感じながら、僕は、

「じゃあ、ネーム会議でもしますか。みんなでお話を作りましょう」

 殊更に冗談めかしてそう口にした。

 瞬間、〈♪ぴろりろりろん ぴろりろりろん〉と、着信音が車内に響いた。

<第4回に続く>

あわせて読みたい