「あんた誰や?」思えばすべての辻褄が合っていて…/澤村伊智「高速怪談」【全文公開⑥】

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/14

『ぼぎわんが、来る』の澤村伊智氏による、小説の形をした怪談集『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)。
子連れで散歩中に見かけた怪しげな物件、語ってはいけない怖い小説、新婚旅行で訪れた土地での出来事…など、暑い夏の夜にゾクゾクする珠玉の7編を収録。
本連載では、「高速怪談」を7回に分けて全文公開! 関西方面に向け、乗り合わせて帰省をする男女5人。ひょんなことから車内で怪談会がはじまって…。ラストまで見逃せない傑作短編。

堀さんの話

 僕は呆然と堀さんの笑顔を見つめていた。彼は口を開くと、

「澤口さんと僕は初対面です。今日顔を合わせることも知らなかった」

「……はい」

 訊かれているのだろう、と思って僕はそう答えた。

「石黒さん夫婦も同様です」

 振り返ると二人はかすかに頷いた。困惑した表情で顔を見合わせ、身を寄せ合う。

「そして真柄さんは」堀さんは声を大きくすると、「宇都宮さんに頼まれて承諾しただけです。まだ空きはあるか、知り合いの堀という編集者も連れていっていいか、と」

「そうなん?」

 石黒さんが振り返って訊いた。

「俺てっきり知り合いやと思ってたわ。集合場所に行ったら二人で話してたから……」

「ちゃうよ」

 真柄さんが答えた。不思議そうに目を瞬かせて、

「宇都宮くんの知り合い。今回初めて会うた。段取りも彼経由で伝えてもらってたし」

「ちなみにですが集合場所で、真柄さんに声をかけたのは僕です。堀と申します、と名乗って。つまり」

 彼は愉快そうにハンドルをタタタンと叩くと、

「この場にいらっしゃる皆さんは、僕が本当に堀泰三かどうか知り得ない。全くの別人だったとしても分からないわけです」

 と言った。今にも口笛でも吹きそうな、本当に楽しそうな口調だった。

「……いや、作りでしょ、それも」

 石黒さんが呆れながら身を乗り出した。

「理屈で言うたらそうなるけど、いくらなんでも」

「そうそう」

 汀さんが硬い笑みを浮かべて、「この怪談はちょっと弱いかな。申し訳ないですけど」と言った。僕はうなずく。理屈を述べただけで少しも怖くない。

 堀さんは何も答えず運転を続けていた。

 出し抜けに着信音が鳴った。真柄さんのだ、と気付いた瞬間、

「はいはい」

 彼がスマホを耳に当てた。

「ああ、うん。もうすぐ四日市……は?」

 くわっと目が見開かれた。口がぽかんと開いていた。視線が運転席と僕たちを何度も行き来する。

「ほんまに? ほんまなん? え? 嘘やろ?」

 信じられないといった口調で何度も確認して、真柄さんは通話を終えた。だらりと口元が弛んでいる。石黒さんが「どないしてん」と不安そうに訊いた。

「……宇都宮くんからやってんけど」

 真柄さんはスマホを示すと、

「さっき堀さんからチャットで連絡が来てんて――『今起きた、どうしよう』って……」

 汀さんがハッと息を呑んで運転席を向いた。

「睡眠薬が切れたみたいですね」

 堀さんがレバーを操作した。きゅきゅ、とワイパーがフロントガラスを擦る。

 僕は助手席に張り付いていた。両手が汗で濡れていた。集合してから今の今まで自分たちがどういう状況にあったか、今さら気付いて慄然としていた。

 誰だか知らない人とずっと一緒にいた。見知らぬ人と狭い車内で語り合っていた。どこのどういう人かも、何のためにここにいるのかも分からない人と。

 堀さん、いや――堀泰三を名乗っていた青年は、くすくすと忍び笑いを漏らしていた。

 これまでの道中を思い出していた。辻褄が合っていた。別の意味を帯びていた。

 だから石黒さんに顔を描かれたくなかったのか。

『アクエリアス』とかいうホラー映画の話をしたのも、ひょっとして仄めかしだったのか。自分は堀泰三のマスクを被っているぞ、という。

「あんた誰や?」

 真柄さんが率直に、あまりにも率直に訊いた。

「堀くんの友達ですよ。とっても仲のいい」彼はルームミラーを眺めながら、「というより、堀くんが僕と仲良くなろうとしていたのかな」と意味深に言う。

「名前や。どこの誰か訊いてんねん」

 張り詰めた声で真柄さんが質問を重ねる。青年はどこ吹く風で、「申し上げられません。堀くんにとって極秘情報、特ダネなので」と更に意味深に返す。

「いや、あのな」

 真柄さんが苦笑した。「どこの馬の骨かも分からんやつに、俺の車――」

 ガクンと車体が激しく揺れた。背もたれに叩きつけられて息が詰まる。セレナがスピードを上げ、前の車を追い越した。ポーン、と警告音がした。

〈車両の揺れが大きくなっています〉

「堀くんがどんな本を作っていたか、ご存じないですよね?」

 青年が訊いた。誰も答えないのを確かめると、彼はふふんと鼻を鳴らして、

「犯罪ルポルタージュですよ。『戦慄の真相 餃子の王将社長射殺事件』『世田谷一家殺人事件 狂気の迷宮』『ゾディアック・キラー 未解決連続殺人事件の悪夢』……」

 すらすらとそらんじると、

「有名な事件はもちろん、地味で話題になっていないような殺人事件なんかも、彼は追いかけていました。ノンフィクションライターと一緒に。そして接近したんです。若い女を何人か殺したらしい、失業中の二十代の男に」

 車はますます速度を上げていた。車体が左右に揺れる。ポーン、〈車両の揺れが大きくなっています〉ポーン、〈車両の揺れが大きくなっています〉

「男は身の危険を感じました。身を隠す方法を探していました。そんな時に今回の話を聞いたんです。堀くんから雑談で」

 物凄い速度で外の景色が、光が通り過ぎていく。頭の中で想像が、妄想が膨らんでいく。青年の足元、黒いリュックサックに目が行ってしまう。

「しかしまあ、驚きましたよ」

 彼は足先でリュックを小突くと、

「石黒さんのあの絵、この子にそっくりなんです。表情から何から全部」

 アクセルペダルを思いきり踏んだ。再び身体が背もたれに叩き付けられる。汀さんが「きゃあっ」と悲鳴を上げた。

 僕はドアに背中を押し付けていた。少しでも彼から離れようとしていた。全身から血の気が引き、凄まじい寒気に襲われていた。歯の根が合わない。

「落ち着いて、頼むから!」

 ほとんど叫び声で真柄さんが言った。

「単純に危ないから、とりあえずスピード落とそう、な?」

 青年は答えない。轟音が車体を震わせている。感じるはずのない風を僕は頬に感じていた。タイヤが凄まじい勢いで路面を搔く、そんな光景が頭に浮かんでいた。

「何も見てない、聞いてないことにするから」

 真柄さんがすがるような声で言う。青年は答えない。

「勘弁してくれ!」

 叫んだのは石黒さんだった。考える前に、

「お願いします!」

 僕までそう声に出していた。

 青年がニッと気味の悪い笑みを浮かべるのが見えて、僕は目を閉じた。

 ゆっくりと車が減速するのが、身体を走る感触でわかった。轟音がだんだん小さくなっていくのが分かる。耳がかすかな音を捉えた。ブブブ、ブブブ、と運転席の方から聞こえる。

 青年がスマホをポケットから取り出し、操作するとダッシュボードに置いた。「もしもし」と応答する。

〈あ、堀くん?〉

 聞き覚えのあるひょうきんな声がスマホから聞こえた。

「はい、堀です。お疲れ様です」

 青年は一仕事終えたような、すっきりした口調で返す。

〈ちょっとよく分からないことになってるんだけど、車の乗り合いの件――〉

「その件でしたら大丈夫です」

 彼は平然と、「ちゃんと合流して乗ってますよ、間もなく四日市を通過します」

〈はあ? じゃあさっきのチャットは〉

「ちょっとした仕込みです。ネーム会議の」

 青年は――いや、堀さんはそう言うと、僕にウインクしてみせた。

 車内に奇妙な空気が流れた。汀さんがぐすぐす泣く声が後ろから聞こえていた。

 窓の外にはコンビナートの夜景が広がっていた。

<第7回に続く>

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