3回フラれても椎太のことが好きでたまらない高校生の由舞。4回目の告白を「もうがまんできない!」【森絵都 ヒカリノタネ】/はじめての④

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/16

 紺のパーカーにデニムという色気のない装いであらわれたヒグチは、勝手知ったる調子でずんずん部屋へ押し入ってくると、勉強机の椅子にどんと腰かけ、観察眼を光らせた。

「あいかわらず色気のない部屋だなあ。ピンク率低いっていうか、フリル率ゼロっていうか……あ、またマンガごっそり増えてるし。うわっ、まだある、あのポスター。あんまりいないよ、『ワンピース』のポスター、壁に貼ってる女子高生」

「人のヒーローにケチつけないで」

 私はベッドの縁からヒグチをにらんだ。

「ルフィは私の元気のもとなの。毎日、それ見てパワーのチャージしてるんだから」

「まさかスマホの待ち受けも……」

「ルフィだよ。悪い?」

「ある意味すごい」

「で、何しに来たの?」

 人の柿ピーを勝手につまみはじめたヒグチに聞くと、黒縁メガネの奥にある目がようやくこっちを向いた。

「椎太と何があったのか、直接会って聞いたほうが早いと思ってさ」

「何って……」

「何もないわけないよね。ついこないだまであんた、女ともだちの座は最強だとか、彼女とは別れても女ともだちは永遠だとか、さんざん悟ったようなこと言ってたじゃん、優越感だか負けおしみだかわかんない感じで。それがいきなりまた告白? あんたの未練に火をつける何かがあったってことでしょ」

 あまりに的確な図星にしばし呆けたあと、私はゆらりとヒグチに歩みより、柿ピーの入ったジップロックを取りあげて、ふたたびベッドの縁へもどった。

「ヒグチ。ほんの一、二分の会話が、三年間の禁欲生活を水のあわにしちゃうことって、あるよね」

「一、二分の会話をしたわけだ、椎太と」

「よくぞ聞いてくれました!」

 もはや自制心もここまでだった。本当はだれかに話したくてうずうずしていた私は、怒濤の早口であの日のことを語りはじめた。高校のともだちは私の過去を知らないし、くやしいけど、話し相手にヒグチ以上の適役はいない。

「事の起こりは五日前、男子バレー部の大西ってやつに絡まれたのがきっかけだったんだけど……」

 思いだす、あの日の放課後――女子バレー部の練習へ急ごうとしていた私は、教室を一歩出るなり、待ち受けていた大西につかまって、無理難題をもちかけられた。断っても、断っても、大西は引きさがらなかった。

「頼む、坂下。このとおりだ」

「むり」

「一生のお願いだ」

「むりったら、むり」

 そんな不毛なやりとりを何度くりかえしたかわからない。

「ほんとカンベン。ほかを当たってよ」

「のきなみ当たって全滅してんだよ。おまえが最後の砦だ」

「ますますヤだ」

「そこをなんとか」

 きりがない。ほとほと困りはてていたそのとき、横から「よっ」と声がした。

 ふりむくと、椎太が立っていた。

「あ……」

 あまりに唐突な出現に、とっさに「よっ」と返せなかった。

 目の前に椎太がいる。いつも遠い彼が近い。それだけで、世界そのものの遠近感がどうにかなってしまいそうだった。

 しかも、椎太は大西に向かって言ったのだ。

「ちょっと坂下と話あるんだけど、いい?」

 こんなことが空想の外側で起こるなんてうそみたいだった。ぽかんとしている大西を置きざりに、私は椎太に手招かれるまま、ふわふわとした足取りで彼のあとを追った。

 放課後の校内は埃っぽく、窓からの西日が霞がかったような光を散らしていた。わさわさと行き交う生徒たちの輪郭はどれも淡かった。無言で前を行く椎太の背中だけがありありと濃かった。

 廊下のはしまで行きつくと、椎太の足は階下をめざし、一階に降り立ったところで動きを止めた。

「ここまで来れば、もういっか」

「え」

「あ、べつに話とかなかったんだけど、なんか絡まれて困ってるみたいだったから」

 助けてくれた。話はなかった。このふたつが頭の中で複雑にもつれた。手放しで喜ぶこともがっかりすることもできず、私はまた少し背がのびた椎太をぼうっと見上げた。曇りのない笑顔は変わらない。

「そうそう、絡まれて困ってたんだ。ありがとうっ」

 必要以上に大きな声を出して、やっと「長年の友」の顔を取りもどした。

「さっきのあいつ、男子バレー部なんだけど、新しくビーチバレー部を立ちあげるとか言っちゃって、女子バレー部のみんなを勧誘しまくってるの」

「へー、海もないのにビーチバレーか」

「ぜったい、ビキニめあてだよ。夏には湘南で合宿だって。下心、見え見えだよね」

「たしかに物騒な話だな」

 冗談めかして言ったのに、椎太の顔から笑みが引いた。つぎの瞬間だ。

「油断すんなよ」

 椎太が顔をうつむけ、長い前髪で目を覆うようにして、ぼそっとつぶやいた。少しかすれた低い声。知らない大人みたいな。

 直後、椎太は照れくさそうに「じゃ」と立ち去った。

 私の耳をほてらせる余韻だけ残して。

 油断すんなよ――。

 

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