ネズミや虫にかじられた!? 明治時代のお札はある食べ物が原料だった/億万長者も知らない!? お金のびっくり事典③

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公開日:2024/3/15

億万長者も知らない!? お金のびっくり事典

 太平洋戦争(1941年〜1945年)の終わりごろに、陶器でできた硬貨「陶貨」がつくられたことがあるんだ。

 戦争がはげしくなり、資源のとぼしい日本では、飛行機、軍艦などの兵器をつくるための資源が不足していた。硬貨の材料である銅やアルミニウムなども、武器の製造に回されてしまい、金属で硬貨をつくるのがむずかしくなってしまったんだ。

 そこで考え出されたのが、陶器のお金「陶貨」なんだって。第一次世界大戦(1914~1918年)後のドイツで1920〜1922年につくられたものをモデルとして、1944(昭和19)年ごろに計画されたそうだよ。

 だけど、造幣局は金属加工が専門だったから、焼きものの陶貨をつくるのにはとても苦労したんだ。

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 そして日本有数の陶器の産地として有名な、現在の京都府京都市や愛知県瀬戸市、佐賀県有田市の陶器製造会社を選んで造幣局出張所にし、1945(昭和20)年から、陶器のお金の製造を始めたんだって。

 この陶貨はデザインもシンプルで、大きさも1銭が1.5センチ、5銭が1.8センチ、10銭が2.2センチと、小さなものだった。合計17億枚を目標に、製造が始められたんだ。

 だけど、やっと約1500万枚の陶貨ができたころに、日本は戦争に負けて終戦になってしまったんだ。

 結局、陶貨はお金として実際に使われることはなく、くだかれて、捨てられてしまったんだ。陶貨づくりに関係した人たちはつらかっただろうね。

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 太平洋戦争(1941年~1945年)に敗れた日本は、ものの値段がひどく上がるインフレーション(インフレ)が進んでいた。そこで政府は、お札を新しくして、混乱をおさえようとしたんだ。

 政府は日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)に、京都・広隆寺の弥勒菩薩像の500円札と、奈良・新薬師寺の伐折羅大将像の1000円札を提案。でも当時としては高額のお札だったので、インフレがかえって進むとGHQは発行を許可しなかった。

 その後、伐折羅大将像は10円札、弥勒菩薩像は100円札で再提案された。しかしGHQは、「二つの像は占領軍への日本国民の悲しみと怒りを表している」として、またも採用を許可しなかったんだって。

<第4回に続く>

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