【連載】『小説 最後の恋』第3回 中嶋ユキノ×蒼井ブルー

文芸・カルチャー

公開日:2018/10/3

 10月10日に3枚目のオリジナルアルバム『Gradation in Love』をリリースする、シンガーソングライターの中嶋ユキノさんと、ツイートをまとめたエッセイ『僕の隣で勝手に幸せになってください』をはじめベストセラーを連発する、文筆家・写真家の蒼井ブルーさんがコラボレーション。『Gradation in Love』に収録される楽曲“最後の恋”をテーマに、蒼井ブルーさんが書き下ろした『小説 最後の恋』をお届けします。さらに、この書き下ろし小説のストーリーとリンクした、“最後の恋”のMVを制作(10月に公開予定)。どのような物語が展開されるのか、ぜひ確かめてみてください。

「こちら、七海ちゃん。最近よく来てくれてる子でね、ちょうど須田くんの話になってたんだよ」

 唐突な再会で固まってしまっていた私に、店長が助け舟を出した。

「俺の話? えー、なに話してたんですかー?」

 店長と私を交互に見ながら、彼が笑顔をさらにやわらかくしてゆく。

「……あの、私のことって、わかりますか?」

「え、あのときの人ですよね? 俺が無理やり店員をやらされた日の」

 がはは、と店長が笑い声を上げる。

「わかりますよー、こんなかわいい子めったにいないし。ほんとにまた来てくれたんですねー。今日はひとりなんですか? ていうか隣、大丈夫ですか? もう座っちゃってますけど」

 気になっていた人が隣にいる、こちらに向かって話しかけている。

 もしもまた会えたなら、もっとこう、うれしい気持ちに包まれるのだと思っていた。「また来てくださいって言うから通ってたのに、ちっともいないじゃないですかー」などと、笑顔でもって言えるのだと思っていた。

 しかし、とてもじゃないがそれどころではなかった。私は緊張した、頭のてっぺんから爪先に至るまで、完璧に。そもそもが奥手な私にとって、この距離感は近すぎるのだ。

「お、たまごサンド。ここのってめちゃくちゃうまくないですか?」

「…………」

「どうかしました?」

「……あっ、ごめんなさい、えっと」

「俺も好きなんですよねー、ここのたまごサンド。めちゃくちゃうまくないですか?」

「えっ、あ、はい。とっても」

「それ、1個もらってもいいですか? いや、俺もいま頼んでるんで。来たらちゃんと返すんで」

 私がうなずくと彼はたまごサンドをひとつ取り、ひょい、と口の中へ放り込んだ。

「うん、うまい、いつ食ってもうまい。ちなみになんですけど、もう1個って言ったら怒りますよね?」

「あ、よかったら全部食べてください。私、なんか食欲なくなっちゃって」

「大丈夫ですか? 具合でも悪いんですか?」

 心の声の、君が隣にいるからだよ、が表に出てしまわなくてよかった。

「ん、そうだった」

 彼は手の甲で口元を拭き、私へ正対するように向き直して、「俺、須田将太っていいます」と言った。それまでのやわらかさをぴしゃっとしまい込んだ、凛々しい顔。

 慌てて正対し、「大竹七海です」と返すと、「なんかの面接?」と店長が笑った。彼も笑った。私も、少しだけ。

「七海ちゃん、食欲ないんですよね? じゃあ、さっきもらったたまごサンドって、返さなくても大丈夫ですか?」

「あっ、えっと……私、食べます。なんか安心したらおなかすいちゃって」

「安心? 何に安心したんですか?」

「いや、あの……いろいろです」

「いろいろかー。まあでも、うん、よかった。それはめちゃくちゃよかったです」

 心の声の、君とこんなふうに話せたからだよ、が表に出てしまわなくて本当によかった。

 彼はできあがった自分のたまごサンドを「何個食べてもいいですよ、利子ってことで」と私に差し出した。「いいんですか?」と訊くと、「1個は残してくださいよ?」と笑い、「あと、連絡先訊いてもいいですか?」と付け加えた。

 色彩のたまごサンドは今日もおしゃれで、ひと目見ただけでもう絶対においしいという予感があって、そして本当に、ただただおいしいのだ。

 須田くんとの交際が真剣なものへとなってゆくにつれ、私たちは色彩へ通う頻度を徐々に減らしていった。それは何も、味や居心地に飽きてしまったからではない。週末を中心に客足が伸びてゆき、せっかく行っても入れないということが増えてきたからだ。

 そんなとき、店長は遠目から申し訳なさそうな顔をしてみせるのだが、しかしいきいきと仕事をこなす姿はとても楽しげで、私たちふたり、特に須田くんは、それを大いに喜んでいた。

 カウンター席はもう常連客たちのものではなくなった。若い女の子の客も目に見えて増えた。顔の濃いイケメン店員は変わらぬままだったが、それでも随分と勤務日数を減らしたように思う。代わりにモデル風の新人たちがそのサービスを担っていった。

 正式ではない店員が店番を押しつけられるようなことは、きっともうないと思う。色彩はみんなのお気に入りの店になっていった。

 交際が半年を過ぎたある日、「大事な話がある」と、須田くんが私の部屋へやって来た。

 様子がおかしいのはすぐにわかった。いつもは明るくてやさしい彼が見せる初めての、なんというか、威圧感。嫌な予感がした。

「七海ちゃん、座って。あのさ、確認したいことがあって」

 目も、口調も、きつい。やはりよい話ではないのだ。

「俺と七海ちゃんって、付き合ってるんだよね?」

「えっ、うん、そうだよ」

「いや、それならさ、なんでかなって思うんだよね」

「なんでって、何が?」

 あきれたように笑って彼が続ける。

「ずっと思ってたんだけど、七海ちゃんってさ、いつも楽しくなさそうにしてるでしょ? 俺といるとき」

 ああ、来た、と思った。

 私はこれまで、付き合った人から決まって同じようなことを言われてきた。比べると、須田くんはここまでよく持った方ではあったのだが。

「……ごめん」

「いや、別に責めてるわけじゃなくて」

 経験でいくと、責めていないと言う人間は大抵が責めているし、怒っていないと言う人間も大抵は怒っている。

「でさ、もうひとつ訊くんだけど――」

 私には、彼が何を言おうとしているのかがわかる。それは予知などではなく、過去からくるものだ。これまで何度も経験した過去から、知り得たもの。

「俺のことって、どう思ってる?」

 来た、と思った。このようなヒリヒリとした雰囲気でもなければ、ほらね、と手を叩きたいくらいだ。

「どうって?」

「付き合ってるんだったらさ、ほら、好きとか、あるでしょ」

「……好きだよ」

 私は思わず下を向いた、よりによってこのような重要なせりふを吐く場面で。

「ね、こっち見て。それってさ、彼氏として好きってことで合ってる?」

 彼の顔いっぱいに不信感と書かれてある。目の奥にはいら立ちが宿されている。

 だめ、泣きそうだ。涙がすぐそこまでやって来ている。

「…………合ってるよ」

 こらえようとした分、余計に声が震えてかっこ悪い。

「ほんとかなあ。俺さ、半年以上も付き合ってきたのに、七海ちゃんのことが全然わからないんだよね」

 何かを話さなければならないはずなのに、言葉が出てこない。私は膝を抱え、そこに顔をうずめて、叱られた子どものようにしくしくと泣くことしかできなかった。

 しばらくの沈黙ののち、彼は小さく息を吐き、「もういい」とつぶやいた。私に対してではなく、まるで自分に言い聞かせるようにして。

 彼が帰ったあとも部屋の空気は重く気まずいままで、私はすべての窓を開け、強にした換気扇のそばでしゃがみ込んでもう一度泣いた。

第4回に続く

第2回はこちら

●中嶋ユキノ/Yukino Nakajima
浜田省吾のアルバムにフィーチャリングボーカリストとして参加したのをきっかけに2016年に浜田省吾プロデュースでメジャーデビュー。シンガーソングライターとしての活動の傍ら、数々のアーティストのライブのバックコーラスやレコーディングコーラスも手掛け、作詞提供など作家としても活躍中。今回のコラボレーション企画のテーマとなっている「最後の恋」は、10月10日リリースのアルバム「Gradation in Love」に収録。現在アルバムの発売に先駆けて配信中。
・オフィシャルサイト:http://nakajimayukino.com/
・「最後の恋」先行配信:https://NakajimaYukino.lnk.to/saigonokoi



●蒼井ブルー
大阪府生まれ。文筆家・写真家。写真家として活動していた2009年、Twitterにて日々のできごとや気づきを投稿し始める。ときに鋭く、ときにあたたかく、ときにユーモラスに綴られるそれは徐々に評判となり、2015年には初著書となるエッセイ『僕の隣で勝手に幸せになってください』(KADOKAWA)を刊行、ベストセラーになる。以降、書籍・雑誌コラム・広告コピーなど、文筆家としても活躍の場を広げている。
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