き、気まずい! 後宮へ向かう馬車で夫とふたりきり…/『後宮妃の管理人』④

文芸・カルチャー

2019/12/16

勅旨により急遽結婚と後宮仕えが決定した大手商家の娘・優蘭。お相手は年下の右丞相で美丈夫とくれば、嫁き遅れとしては申し訳なさしかない。しかし後宮で待ち受けていた美女が一言――「あなたの夫です」って!? 後宮を守る相棒は、美しき(女装)夫――? 12月13日には最新2巻が発売!

『後宮妃の管理人 ~寵臣夫婦は試される~』(しきみ彰:著、Izumi:イラスト/KADOKAWA)

 その日の朝は普段より早く起きて食事を取り、侍女に女官服を着せてもらった。

 年嵩の侍女は髪を仕上げ終えると、満足そうに頷く。

「できました。お綺麗ですよ、奥様」

 姿見の前に立った優蘭は、自分の姿を頭のてっぺんから爪先まで観察した。

 侍女の化粧の腕が良かったお陰か大分ましな見た目になっているが、綺麗とは言いがたい。ただ竜胆色の襦裙というのは、なんとも言えずこそばゆかった。

「……一つ、確認しても良いですか?」

「はい、なんでしょう」

「私の着る女官服はこの色で、ほんっとうに間違いないのですよね?」

「もちろんにございます。陛下から指定された通りの襦裙ですよ」

 嫌がらせかしら?

 優蘭は真面目にそう思う。紫は皇帝の色なので、その中でも特に濃い色は皇帝しか身につけることを許されていない。代わりに皇帝が信を置く家臣や極々一部の人間は、薄い紫色の衣を着ることができるのだ。

 なのに新参者の私が何故、この色の襦裙を着てるの……絶対に目立つ。ものすごく目立つ。

 初出勤も果たしていないのに、なんだかすごく疲れてきた。

 そんな優蘭に気づいていないのか、侍女は嬉しそうに言う。

「奥様は通いということになりますので、晡時四つ時(午後十六時半~十七時)までには迎えの馬車をやります。それに乗っておかえりくださいませ」

「分かりました」

「朝は旦那様と共に馬車にお乗りください」

「……はい」

 本気か。

 最近は夫婦関係を改善することを諦めて、上司と同居してると考えるようになっていた。お陰様で幾分過ごしやすくなっていたのだ。

 が、事務的な言葉を交わすのであればまだしも、馬車という密室空間に毎朝閉じ込められるのは割ときつい。忙しさを理由に大切なことを後回しにしてきたツケが、今やってきた。

 そろそろ、皓月との関係をどうにかしたほうがいいようだ。

 優蘭はこっそり拳を握り締めた。

 今こそ、年上の余裕と今まで培ってきた会話術を駆使するとき!

 そんな決意と共に外に出れば、馬車の前で皓月が待っていた。優蘭は慌てて駆け寄る。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません!」

「いいえ、大して待ってませんよ。どうぞ中へ」

「ありがとうございます」

 裾をつまみながら馬車に乗ろうとしたら、手を差し出された。ごくごく自然な動きに少し驚いたが、せっかくなので手を借りることにする。

 お互いに向き合う形で席についたところで、鞭を打つ音と馬のいななきが聞こえた。馬車がゆっくりと動き出す。

 その間、二人は無言だった。

 ……決意したのはいいけど、話題が出てこない。

 会話するのってここまで難しかったっけ? と優蘭は真面目に戸惑った。

「……今日は、良い天気ですね。春らしい陽気です」

 戸惑った挙句出てきたのは、まさかの天気のこと。「もう少しいい話題はなかったのか!」優蘭は自分に対してつっこむ。

「そうですね。暖かくて過ごしやすいです」

「はい。……今日の朝餉も、大変美味しかったです。特に私は、魚介の出汁が効いた粥が好みでした」

「そうでしたか。料理長に伝えておきます、とても喜びますよ」

「それなら良かった」

 案の定、会話があまり進展せず沈黙が馬車の中に落ちる。嫌な空気に、優蘭の手のひらに汗が滲む。

 沈黙を破ったのは意外にも、皓月だった。

「優蘭さん。一つ、良いですか?」

「は、はい。なんでしょう?」

「遅くなりましたが……これを渡したくて」

 差し出されたのは、小さな木箱だった。装飾が凝っている。

 許可を貰って開いてみると、そこには指輪がおさめられていた。台座には楕円形の黒瑪瑙が付いており、紋章が刻まれている。

「これは……」

「結婚指輪です」

「……結婚指輪……」

「はい。あまりにも急な話だったので儀式当日には間に合いませんでしたが、後宮入り前には渡したくて急がせました」

「それ、は。あ、ありがとうございます」

「いえ。こちらこそ遅くなってしまい申し訳ありません。しかも渡す場所も場所ですし……」

 皓月は何やら申し訳なさそうにしているが、優蘭は全く気にしていなかった。むしろそこまで考えてくれていたことに感動している。

 そっか。結婚したのに指輪を着けてなかったら、周りの人に笑われるものね。

 この国の既婚者は、左手の薬指に指輪をはめる風習がある。しかしそれは正妻のみだ。複数の妻を持つこともある貴族の場合、愛人はその限りではない。

 つまり皓月は、優蘭にあらぬ嫌疑がかけられぬよう裏で動いてくれていたということだ。

 優蘭はまじまじと指輪を見つめる。

「……この紋章は、珀家の紋章ですか?」

「はい。梅の形を模した紋章なんですよ」

「そうなのですね。……ありがとうございます、皓月様。本当に本当に……ありがとうございます」

 嵌めてもいいですか? そう言うと、皓月は頷いた。指先でつまんで箱から取り出し、薬指に嵌めてみる。派手な物はあまり好みではないのだが、落ち着いた意匠と色をしているため優蘭が嵌めても浮いて見えなかった。

「……気に入りましたか?」

「はい、とても」

「そうですか、それは良かった……」

 ほんの少し。ほんの少しだけ、皓月の表情が和らいだように見えた。よくよく見れば皓月の左薬指にも、優蘭と同じ指輪が既に嵌まっている。

「その。大変かと思いますが……頑張ってください。わたしも、できる限り力にはなりますので」

「はい」

 そこでちょうど、馬車が減速を始めた。どうやら、もう着いたらしい。従者が小窓から「奥様、着きましたよ」と声をかけてきた。

 従者に扉を開けてもらい、優蘭は外に出る。

 すると、横切ろうとしていた別の馬車がゆっくりと速度を落としていくのが見えた。

 止まった馬車には、水仙を模した紋章が大きく刻まれている。金で形作られていたということもあり、目を引いた。そんな馬車の窓から五十代くらいの男性が顔を出した。

 ……え、何?

 顔立ちは平凡そのものだったが、丸い。一瞬、月餅かと思った。窓からちらりと覗く官吏服は、目が痛くなるような赤だ。

 初対面の男性にこういうのはなんだけれど……こう、背筋がぞわっとするわね。

 すると男性は、にたりと笑う。その笑みは、皓月に向けられていた。

「これはこれは、珀右丞相。おはようございます。奥方と一緒とは、随分と仲が宜しいようで。新婚らしくて羨ましいですな」

 すると皓月は、ものすごく爽やかな笑みを返した。

「おはようございます、韋尚書。今日は随分とお早いですね。朝議までは幾分か猶予があると思うのですが」

 どうやらこの太った男性は、韋氏というらしい。

 尚書って、六つある部署をまとめている偉い人に与えられる役職名だったはずよね?

 優蘭は、外面用の笑みを全開にしつつ考える。その間にも、二人のやり取りは続いた。

「いやあ、お恥ずかしい話でしてな。昨日終わらなかった分の仕事があるのですよ」

「それはそれは。ならば、早く出勤したほうが宜しいのでは?」

「ははは、そういたします」

 ……話、終わったかしらね?

 そう思ったときだった。

「……似合いの奥方が見つかって良かったですなあ、珀右丞相」

 下卑た笑みを浮かべ、韋尚書はそう言った。悪意に満ちた物言いに、優蘭はぴくっと片眉を震わせる。しかし皓月は、何食わぬ顔をして微笑んだだけだった。

「ええ。とても素敵な妻ですよ」

 どうやら韋尚書は、その反応が気に入らなかったらしい。窓を閉め布で視界を閉ざすと、そのまま馬車を走らせ行ってしまった。それを見送った皓月は、溜息を吐く。

「……すみません、優蘭さん。わたしのせいで、朝から嫌なものを見せてしまいました」

「い、いえ、そんな……ところで、あの方は?」

「彼は韋尚書。吏部……官吏の選出事務を担当する部署の、最高責任者です。もう会うことはないと思いますが、あまり近づかないでください。今回のように、嫌な思いをすると思いますから」

「大丈夫です。頼まれても近づきません」

 それに、嫌な思いをしたのはむしろ皓月のほうだろう。

 だって今馬鹿にされたのって、私が平民で嫁き遅れだったからよね?

 それ以外、思い当たる要素がない。優蘭はぺこりと頭を下げた。

「こちらこそ、私のせいで肩身の狭い思いをさせて申し訳ありません」

「……そんなことはありませんよ?」

 優蘭のことを気遣ってか、皓月はそう言ってくれる。

 本当に優しいわ……そんな皓月様にあんなこと言うくそ親父は、とりあえず禿げろ。禿げ散らかせ。

 心の中で盛大に呪っておいた。その顔と水仙の紋章、決して忘れはしない。

「……だって韋尚書がああ言ったのは、わたしの行いのせいですから」

 そんなふうに憤っていたからか。皓月が暗い顔をしてぽそりと言った言葉は、優蘭の耳に届かなかった。

 彼は明るく笑うと、優蘭に荷物を渡してくれる。

「優蘭さん、これを」

「ああ、ありがとうございます」

「行ってらっしゃい……どうか気をつけてくださいね」

 不安そうな顔をしつつ、皓月は扉を閉める。手荷物を抱えた優蘭は、従者が馬を操り去っていくのを見送った。

「開門ー!」

 高らかに響き渡る大きな声に、優蘭は振り返る。

 その掛け声とほぼ同時に、大きく重たい門が左右に開いていった――

<第5回に続く>