掴みは良し。皇后候補を味方にするなら…/『後宮妃の管理人』⑥

文芸・カルチャー

2019/12/18

勅旨により急遽結婚と後宮仕えが決定した大手商家の娘・優蘭。お相手は年下の右丞相で美丈夫とくれば、嫁き遅れとしては申し訳なさしかない。しかし後宮で待ち受けていた美女が一言――「あなたの夫です」って!? 後宮を守る相棒は、美しき(女装)夫――? 12月13日には最新2巻が発売!

『後宮妃の管理人 ~寵臣夫婦は試される~』(しきみ彰:著、Izumi:イラスト/KADOKAWA)

 あまりにも広く分かりにくい後宮内で迷子になりながらも、優蘭はなんとか目的地に到着した。

 一番初めに向かったのは、蘇芳宮と呼ばれる朱色の美しい宮殿だ。

 ここの主人は貴妃、姚紫薔という女性である。舞踊から楽器までなんでも完璧にこなす天才だと、資料に書いてあった。最も得意なのは、琵琶の演奏だとか。

 彼女は十九歳という若さで貴妃に上り詰め、最有力皇后候補と言われているらしい。最初にここへ来た理由はそこからだった。

 本音を言うと、珊瑚殿から近かったからと、とても目立つ派手な宮殿だったので、目印にしやすかったからだったりする。蘇芳宮が近くにあって本当に良かったと、優蘭は心の底から思った。

 道中人には会うから道を聞こうと思ったのだけれど、近付こうとしたら逃げられたんだよね……私の扱いは珍獣か何かかな……?

 ともあれ、挨拶だ。身だしなみの最終確認を終えた優蘭は、蘇芳宮の呼び鈴を鳴らし、やってきた侍女に自身の名前を言い、「貴妃様にお会いすることはできますか?」と問いかけた。事前連絡なしの訪問なので、駄目でもともとだ。

 しかし予想に反して、侍女は中へと入れてくれた。

「噂の珀優蘭様でいらっしゃいますね。どうぞお入りください。我が主人がお待ちしておりますゆえ」

「……失礼いたします」

 どうやら貴妃は、好奇心旺盛で割と寛容な女性らしい。

 聞けば、挨拶に来たなら必ず通しなさいと既に言われていたそうだ。

 幸先が良さそうで何よりだわ。

 少しだけ安心した優蘭は、廊下を歩きながら失礼にならない程度に内部を観察した。

 外観もそうだったが、内装も赤系統でまとめられている。ところどころに金の飾りが使われていて、見るからに豪奢だった。

 なのに下品には全く見えない。むしろ高貴で洗練された意匠だった。

 それだけじゃなく、調度品の配置とか色もいいわ。内装が派手だから、そちらを抑えめにして下品ではないけれど華やかに見える、絶妙な均衡で構成されてる。

 それだけで、紫薔という女性の感性の良さがうかがえた。

 中庭へ続く窓からちらりと見えたのは、薔薇だろうか。ほのかに香りもしてくる。

 優蘭の期待がむくむくと膨らんでいった。

 そうして客間に通されてから少しして、一人の麗しい女性がやってくる。漆黒の髪に何本もの簪を挿し、薔薇の花を飾っている。目鼻立ちがはっきりとしており、きりりとした漆黒の瞳が独特の色気を醸していた。

 また見事なのは、彼女が着ている衣だ。襟口に金糸が飾られた翡翠色の襦裙と真紅の裳を着ていた。裳には朱、金、銀の糸で細かな刺繍がされており、揺れるたびキラキラ輝いて見える。帯はなく、胸元で裳を留める少し変わった作りをしていた。

 主人のものより色味は抑えられているが、侍女たちも同様の衣を着ている。

 見たことない面白い形だわ、これから流行りそう。

 この国の流行の先駆者とも言うべき紫薔が着ているのだ。流行らないわけがない。

 しかしそんな豪奢な衣装にも髪飾りにも負けない華が、その女性にはあった。

 なるほど。これが皇帝陛下の最愛か。

 こんな美女、一生に一度会えるかどうかだ。

 優蘭は一度立つと、きっちりと礼をして許可を得てから再度座る。

 そんな衣を優雅に揺らしながら向かい側の長椅子に腰掛けた紫薔は、優蘭に向かって柔らかく微笑んだ。

「ご機嫌麗しく、珀夫人。噂を聞いたときから、あなたがくるのをとても楽しみにしていたのよ」

「左様でございましたか。貴妃様にそう言っていただけて、大変嬉しゅうございます」

「ええ、ええ。是非ともお話ししましょう?」

「はい、喜んで」

 紫薔が可愛らしく微笑むので、優蘭もつられて笑ってしまう。

 綺麗なだけじゃなく、愛嬌もあるなぁ。

 ついつい、話さなくても良さそうなことまで話してしまいそうだ。

 そのとき、侍女がお茶と茶菓子を運んできた。

 淹れたての青茶と、縁練糖だ。二本の生地を編み小さく切ってから油で揚げ蜜を絡めた、黎暉大国でよく食べられているお菓子である。庶民の場合、蜜をかけないで食べる。

「どうぞ、お食べになって?」

「はい、いただきます」

 縁練糖の一つを口に放り込めば、飴状になった蜜がパリパリと割れた。それが生地のさっくりした食感と相まって、とても美味しい。噛むとじゅわりと、生地が吸った蜜が溢れるのもまた楽しかった。

 そこで青茶を飲めば、口の中がさっぱり洗い流されてまた縁練糖に手を伸ばしたくなる。なんという相性の良さだろう。

 思わずまた手が伸びそうになるのをぐっとこらえた優蘭は、にこりと笑った。

「お菓子もですが、お茶がとても美味しいです。花のような香りもさることながら、渋みが全くありませんね……もしやこれは、青茶の中でも最高品質を誇る藍玉茶では?」

「あら、そうよ。わたくしの実家がある土地で育てているものなの。褒めていただけて嬉しいわ」

 ははは、下調べしたもの。それくらい当然よ。

 紫薔の実家がある薇鮮州は、お茶の産地として名高い香卯があることで有名だ。特にその中でも藍玉茶は香りも味も良いと評判で、一番茶は毎年皇帝に献上しているという。

 お茶を出してくるなら、絶対に実家のものだと思っていたわ。

 そこから薇鮮州の話に発展したが、優蘭は商いで何度も行ったことがある。なのでその会話に難なく乗ることができた。

 うん。この雰囲気なら、渡せそう。

 頃合いを窺っていた優蘭は、話が一区切りついた頃荷物の中からある物を取り出す。

「貴妃様。お近づきのしるしに、宜しければこちらを受け取ってくださいませ」

 すっと、卓の上に二つの箱を置いた。

「まあ。何かしら?」

「どうぞ、中を開けてみてください」

 紫薔が恐る恐る箱を開くと。

「まあ……!」

 頬を赤く染め、興味深そうに中の物を見つめた。

 一つ目の箱には、内側が玉虫色に輝くお猪口。

 二つ目の箱には、赤い粒状の物が入った瓶が入っている。

 優蘭はまず一つ目の箱を持ち上げると、紫薔に向かって説明を始めた。

「こちら、実を言うと紅なんです」

「……紅? こんな色をしているのに?」

「はい。和宮皇国で使われている紅です。このように、水で濡らした筆を滑らせると……」

 試しに、水で濡らした筆を玉虫色の部分に滑らせる。すると筆が触れた場所が、赤く染まっていった。紫薔が息を吞む声がする。

「この通り、赤い色に変わるのです」

 掴みは良し。

 内心ほくそ笑みながら、優蘭は自分の唇に筆を滑らせる。あえて口紅を塗ってこなかったのは、これがやりたかったからだ。

 優蘭の唇が、ほんのり赤く色づく。その色はとても自然で、唇が持つ本来の色を引き出していた。

「この紅の特徴は、付けた際の色味がとても自然という点です」

「本当に……素敵だわ」

「そう言って頂けると、嬉しゅうございます」

 だが、驚くのはまだ早い。優蘭はさらに、紅を塗り重ねた。

 すると、どういうことだろう。唇が、玉虫色の艶を帯び始める。興味津々といった様子で見つめてくる紫薔に、優蘭は笑みを返した。

「この紅はこのように、塗り重ねると独特の艶を帯びます」

「本当に不思議だわ……何故そんな色になるのかしら」

「私にも分かりませんが……この紅、出来上がるまでにかなりの時間を要するものなのです。ですので和宮皇国では、高貴な方しか使えない代物なのだとか」

 そこで優蘭は、ぐっと顔を近づけた。声を潜める。

「実を言いますとこの紅、別の意味でも人気が高いのです」

「……それは、なあに?」

 優蘭につられて、紫薔も前のめりになり声を潜める。優蘭は耳打ちするように、片手を口元に当てた。

「この紅は、水に濡れると赤くなるのです。そのため……殿方が思わず接吻をしたくなるのだとか」

 瞬間、紫薔の頬が薔薇色に染まる。だがその瞳に嫌悪はなく、むしろどこか喜んでいるように見えた。

 優蘭は、新たな紅を差し出しつつ言う。

「この紅は、『薔薇翠玉』という名で売っております。そういう意味でも、貴妃様にぴったりなお品物かと存じます」

「あら、とっても素敵。……これは、あなたの店で取り扱っている物なのかしら?」

「はい」

「そう。……もし使い心地が好ければ、あなたのところで買わせてもらうわ」

 よっしゃあっ!

 優蘭は、内心拳を振り上げた。実を言うとこの商品は、高額なためあまり売れていなかった商品なのだ。あまりの売れなさに、優蘭も頭を悩ませていた。

 だが、ここは後宮だ。物の金額より、美を追求する姫が多く集まる場所である。上手くいけば、絶対売れると思ったのだ。だから、紫薔に贈った。

 貴妃が使っていると知れば、金持ちの姫たちはこぞって使いたがるはず。

 じゃらじゃらと、お金が奏でる音が聞こえてくるようだ。

 だが、ここで気を抜いてはいけない。――色々な意味での本題は、もう一つの商品なのだから。

 優蘭は、紫薔の熱が冷めないうちにもう一つの商品を説明する。

「そして、こちらなのですが。これは花茶です」

「……花茶って……あの花茶?」

 紫薔がどこか、がっかりした顔をする。それもそのはず。花茶は、ごくごく一般的な茶の一つだ。

 しかし、残念がるのはまだ早い。

 優蘭は、侍女に湯を持ってきてくれと頼んだ。その間に、準備を進める。

 荷物の中から、硝子でできた茶壺を取り出した。こういう演出をするために特注したものである。これを使って淹れて欲しいと侍女に頼めば、快く引き受けてくれた。

 侍女の手に渡った硝子製の茶壺に、花茶が入れられる。そこに湯を注ぎ入れれば、赤い粒が茶壺の中で躍った。そしてだんだんと――湯が赤く染まっていく。

 紫薔が、目を丸くした。

「まあ……とっても綺麗。こんな赤、見たことがないわ。何を使っているの?」

「玫瑰と扶桑を合わせたものを使っております。特に扶桑は、花茶にすると赤くなるのです。その上、玫瑰にも扶桑にも美肌効果があります」

 玫瑰は普通に花茶として飲まれていたが、扶桑はもっぱら観賞用だった。そのため、この国ではあまり広まっていなかったのである。

「そうだったのね……とっても綺麗だわ」

「そう言って頂けますと、私としましても嬉しいです。ですがこの花茶、飲みすぎるのも宜しくありません。ですので、お飲みになる場合は一日三回までにしてください」

「分かったわ」

 そこで、優蘭は茶壺を掲げた。

「玫瑰は、薔薇の果実を使った花茶です。そしてこの花茶の名前も、真紅の薔薇にちなんで『月李茶』と言います。月李は薔薇の異名。こちらも、貴妃様にぴったりのお品物かと思いお持ちしました」

 そう言えば、紫薔はくすくす笑う。

「いいわ。そういうの、好きよ。わたくし……あなたのこと、とっても気に入ったわ」

「恐悦至極にございます」

 ――よっしゃあっ!

 優蘭はそこでようやく、肩の力を抜いたのだった。

 それから話が弾み、優蘭は出されたものを全て平らげた。

 そして紫薔が手をつけなかった菓子と共に、卓の上にあったものが全て片付けられた頃。紫薔がにこりと微笑んだ。

「申し訳ないわ、珀夫人。わたくしこれから、別の方との茶会を入れているの」

「それは大変です。でしたら、私はお暇させていただきますね。貴妃様、隙間時間にお話ししてくださりありがとうございました。とても楽しい時間でした」

「いいのよ。わたくしも楽しかったわ。またいらっしゃいな」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、また伺わせていただきます」

 優蘭は来たときと同様、侍女に案内され外に出たのだった。

 それから他の四夫人のところも回ったが、淑妃には気分ではないからと拒まれ、賢妃には読書中だからと一蹴。徳妃には問答無用で扉を閉められた。最後に至っては、あからさまなくらい冷めた目だった。

 仕事柄追い出されることには慣れていたので、優蘭は別に落ち込んでいない。むしろ貴妃が快く受け入れてくれたことのほうが珍しいのだ。これが商談だと考えると、ものすごく大きな第一歩である。

 あ、でも賢妃様は書物が好きなのか。良い情報聞けたな。

 話のきっかけ作りは、どこに落ちているか分からない。だから優蘭は、どんなに小さな情報でも自分の利益になりそうなことを覚えるようにしている。

 賢妃は一体どんな書物が好きなのかなーと考えながら。

 優蘭はノリノリで珊瑚殿に戻ったのだった。

 そしてその後、優蘭は各部署の女官長に挨拶しに行ったのである。

<第7回に続く>