劉備の母が出てこないから偽物!? 三国志の研究家は何を研究している?/三国志-研究家の知られざる狂熱-①

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/25

「劉備が諸葛亮に遺した遺言が、しっくりこない!」。三国志の研究家は、何を「問題」と考え、何を「研究」しているのか? 120以上の論文を書き上げた第一人者が、その知られざる“裏側”と“狂熱”を徹底解説。

『三国志-研究家の知られざる狂熱-』(渡邉義浩/ワニブックス)

1.横山光輝『三国志』

母のいる三国志

 わたしと「三国志」の最初の出会いは、横山光輝による漫画『三国志』でした。中学入学前後、児童向け雑誌『希望の友』の連載が単行本になり、初版で読みました。次の巻が出るのが待ちどおしかったことを覚えています。

 長い時間がかかりましたが、五十九巻まで読み終えたとき、諸葛亮の悲運に涙しました。五丈原で諸葛亮が星を見ている場面は、今でも脳裏に焼きついています。

 横山『三国志』は、洛陽船(らくようせん)の到着を待ちつつ黄河を見る劉備の描写から始まります。

 後漢(二五~二二〇年)の都であった洛陽は、日本で京都のことを「洛」と呼ぶように、「古典中国」の王城の地でした。劉備は、当時貴重品であったお茶を母に買い求めるために、黄河を眺めながら洛陽船を待っていたのです。

 陳寿が著した史書の『三国志』には、お茶を飲む記録はありません。しかし、三国を統一した西晉に仕える張載(ちょうさい)が、お茶を称える詩を書いていますので、後漢末に洛陽の高官がお茶を嗜んでいた可能性はあります。

「三国志」に劉備の母が登場するのは、吉川英治の『三国志』とそれを承けた横山『三国志』のみで、劉備の母の物語は吉川英治の創作です。『三国志演義』を翻訳した立間祥介先生は、「おまえの三国志は偽物だ。劉備の母が出てこないじゃないか」と批判された、とおっしゃっていました。それほど、吉川『三国志』と横山『三国志』の影響力は大きいのです。

 劉備は、一年間まじめに働いたお金で買ったお茶を、黄巾(こうきん)に奪われます。しかし、張飛が奪還してくれたので、先祖伝来の剣をお礼とします。ところが、母は喜ぶどころかお茶を投げ捨て、家宝の剣を手放したことを叱責し、劉備が前漢の中山靖王劉勝(ちゅうざんせいおうりゅうしょう)の末裔(まつえい)であることを告げるのです。

 孝養を尽くす息子に感謝しながらも、心を鬼にして劉備を叱る母の姿には、「孟母断機」の話が重なります。劉向(りゅうきょう)の『列女伝』に描かれた「孟母断機」とは、孟子の母が、学業半ばで帰ってきた孟子に、織っていた機(はた)を断ち切り、学問を途中で放棄したことを戒める故事です。

 本心を隠して子へ訓戒する母。横山『三国志』は、東アジアの古き良き母親像を描くことで、その訓戒のもとに育った劉備の人柄を表現しているのです。

 劉備の人柄を見込んで黄巾に誘った馬元義(ばげんぎ)は、その理想を語ります。黄巾には、黄巾の志があったのです。

 長らく横山光輝の担当編集者であった岡谷信明さんは、横山『三国志』を中国で出版しようとした際に、黄巾を「賊」とする表現が問題になった、とおっしゃっています。農民「起義(きぎ)」(反乱とは呼ばず、国家の悪政に対する挙兵を「義」と意義づける表現)により国を建てた中華人民共和国では、黄巾は自らに先行する「起義」の一つでした。

 横山『三国志』でも、劉備や関羽・張飛の口から、役人の腐敗が黄巾の原因であると語られています。劉備は、国の乱れを正すために、立ちあがったのです。

<第2回に続く>