増えていく借金、やめられないお酒、離れていく家族… 父が自殺した話/実家が全焼したらインフルエンサーになりました⑦

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/22

実家は全焼、母親は蒸発、父親は自殺…。新橋で働くサラリーマン“実家が全焼したサノ”がインフルエンサーになるまでの軌跡を描いた、笑いあり・涙ありのエッセイ集。

『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』(実家が全焼したサノ/KADOKAWA)

父が自殺した話

 僕が小学校を卒業する頃には、父は重度のアルコール依存症になっていました。

 母だけでなく僕とも離れて暮らすようになり、1人になった寂しさから、さらにお酒に溺れるようになってしまったのです。

 母と離婚してからはすでに何年もの時間が経っていましたが、それでも父は酔っ払うたびに母のことを思い出し、帰ってきてほしいと嘆いていました。

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 しかし、母はすでに他の男性と再婚してしまっていました。

 父は僕とも会いたがっていました。

 しかし、僕と再び暮らすために伯父と伯母にコツコツ返済していた借金も、1年たらずで返さなくなっていました。

 父は自分の弱さには気づいていました。変わりたいとも思っていました。

 でも、目の前にある現実を直視することができず、お酒に逃げ続けていたのです。

 そんな父が、ある日再起を誓って、アルコール依存症を治すための病院に入院したことがあります。

 詳しくは知りませんが、カウンセリングや投薬治療によってアルコール依存症を克服するための専門病院でした。

 僕はときたまその病院へ行き、父と会っていましたが、正直なところお見舞いに行くのはあまり好きではありませんでした。

 なんとなく病院の雰囲気が怖かったのもありますし、この頃は父と離れて暮らしていたこともあり、父への愛情が以前より冷めてしまっていたのです。

 どうして周りの父親は働いているのに、僕の父親は毎日飲み歩いているのだろう。

 どうして周りの父親はちゃんと清潔な服装をしているのに、僕の父親は毎日ヨレヨレのTシャツばかり着ているのだろう。

 今思えば本当にどうでもいいことで、僕は父に対し、心の距離を置いていました。

 父はなんとなくそれを察して、僕を笑わせようと必死に話を振ってくれていましたが、それでも僕はそっけない態度をとり続けていました。

 父が入院してしばらく経っても、父のアルコール依存症は一向に改善しませんでした。

 不思議に思ったお医者さんがきちんと調べた結果、父はアルコール依存症を治すための薬を焼酎で流し込んでいました。治るわけがありませんでした。  

 アルコールから抜け出せなくなった父は、いよいよ家族だけでなく、友人からも距離を置かれるようになっていきました。

 そして僕が中学2年生のとき、父は飛び降り自殺をしました。

 この頃末期のアルコール依存症だった父は、幻覚を見たり、突然気を失うこともあったりしたので、「自殺でなく事故の可能性もある」と警察の方からは言われました。

 亡くなる直前は祖母に、「なんか家でゴロゴロしてたら、大きなナメクジラに襲われた」と言っていたそうです。

 父が亡くなったとき、現実味がなく、なんとなく他人事のような感覚でした。

 お通夜とお葬式もいつの間にか終わっていて、父はあっという間に火葬され、骨だけになりました。

 父の体はアルコールの影響でボロボロになっていて、骨も綺麗には残っていませんでした。

 また、父は僕が小さい頃に交通事故を起こし、足に金属が入っていたため、その金属だけが大きなまま残っていました。

 砕いた骨を、みんなで骨壺に入れていく中、祖母がその骨壺に向かって、「こんなに小さくなってもうて……」と言いながら、膝から崩れ落ちたことだけが、なぜか強く印象に残っています。

 お通夜から火葬までの一連の流れにいまいち集中できていない僕は、死の悲しみをサイズ感で表現する祖母に、妙に感心してしまいました。

 ここからは、いろいろな考えがあることを前提にお読みいただければと思いますが、僕の父のお葬式では、親族や友人から、「なんで自殺したんや」「自殺したらアカン」 というような言葉をたくさん聞きました。

 もちろん彼らは、父に対する愛があったからこそ、このような言葉をかけてくれたのだと思います。実際、父のお葬式には、会場を溢れるほどたくさんの人が来てくださいました。

 しかし僕がそのときに思ったのは、「自殺」という結果よりも、「なぜ自殺したくなったのか」という原因に向き合うことの方が大切なのではないか、ということでした。

 今となっては、父の本当の気持ちを知ることはもうできませんが、父が亡くなったのは、孤独だったからではないでしょうか。

 父から家族や友人が離れた原因は、「お酒」や「ギャンブル」に溺れた父自身にあるのですが、僕も含めて、孤独に寄り添わず、手を差し伸べなかった人たちが、自殺志願者に対して「自殺してはいけない」と言うのは酷だなぁと、僕は子供ながらに思っていました。

 この考え方が正しいかどうかは別として、僕は父に対して、「自殺してはいけない」という思いを、どうしても持つことができませんでした。

 増えていく借金。やめられないお酒。離れていく家族、友人。

 これらのサイクルから抜け出せられず、この先も何一ついいことがないと考えている父が、自殺することが唯一の救われる選択肢だと結論づけてしまったのは、そんなにおかしなことではない、と僕は思っています。

 豊かな人生とは、「贅沢をする人生」でも「人に羨まれる人生」でもなく、「選択肢のある人生」なのかもしれません。

 僕は目の前に自殺したい人がいても、「自殺しないでほしいなぁ」とは思うけれど、「自殺してはいけない」とは今後も言えないと思います。

 1番最後の自殺という選択肢すら奪われてしまうのは、当事者にとっては死ぬことよりも苦しいことなのかもしれない、と思えてしまうからです。

 でも、自殺という選択肢を選ばなくていいように、楽しい選択肢を世の中に少しでも増やしていけたらいいなと思います。そして、誰もが選択肢を多く持てる社会になればいいなと、大人になった今は思います。

続きは本書でお楽しみください。