耳が聴こえない父母。宗教にハマる祖母。暴力的な祖父…ややこしい家族の再構築エッセイ/『しくじり家族』①
公開日:2020/11/29
葬儀はカオス。耳が聴こえない、父と母。宗教にハマる、祖母。暴力的な、祖父。ややこしい家族との関係が愛しくなる。不器用な一家の再構築エッセイ。
Prologue
ぼくの家族
祖父の喪服
生まれて初めて参列した葬儀は、祖父のそれだった。しかも、ぼくが喪主を務めなければならない。突然のことで準備が間に合わなかったぼくは、祖父の簞笥に仕舞われていた彼の喪服を借りることにした。
祖父は大酒飲みででっぷりしたビール腹をしていたため、ズボンのウエストがぼくには合わない。ベルトをギュッと締めても、ずり落ちてきそうになる。ジャケットの前立てはダブル。袖を通して鏡の前に立ってみると、ぶかぶかの制服を身にまとった新入生のような男がひとり映っていた。
まったく哀しくなんてなかった。近しい人を亡くしたときにどうやって涙を流せばいいのか。その方法がわからなかった。
***
二〇一〇年の夏のことだった。
東京は吉祥寺にある小さな印刷会社で働いていたぼくの元に、一本の知らせが届いた。
いつまでも震え続ける携帯電話のディスプレイには「佐知子」と表示されていた。
伯母――母の一番目の姉――の名前だ。ややこしい家族や親戚のなかで、彼女は比較的ぼくと馬が合う。〝電話をかけること〞ができない両親に代わって、時折、ぼくに電話をくれることがあった。
そのときは仕事中だったので応対することができず、無視をした。
再び携帯電話が震えだす。
なにかあったのだろうか。胸の内が少しだけ騒がしくなる。友人からの連絡であればそのままスルーできるものの、このときばかりはそうもいかなかった。ぼくはこっそり電話に出てみた。
「急にごめんね。あのね、おじいちゃん、危篤なの」
こちらを動揺させまいとするように、電話の向こうで、佐知子がゆっくり話すのがわかった。しばし沈黙した後、ぼくはため息交じりで呟いた。
「そうなんだ」
「どうしてそんなことに」と慌てるほど心の準備ができていなかったわけでもないし、言葉を失って泣き出すほど祖父に思い入れがあるわけでもなかった。祖父が亡くなるかもしれないという事実を、ただそのまま受け止めた。だから、「そうなんだ」としか言えなかったのだ。むしろ、どうしてぼくに連絡してくるのだろう、とさえ感じていた。
「で、どうすればいいの」
思いがけず漏れてしまった冷たい言葉に、我ながら驚く。
そんなぼくをたしなめながら、佐知子は続けた。
「決まってるでしょう。今日中に、できればいますぐこっちに帰ってきなさい」
抱えていた仕事を簡単に引き継ぎ、会社からそのまま東京駅へ向かい、東北新幹線に乗り込む頃には日が暮れていた。
平日だったこともあり、車内はそこまで混雑していない。指定席のシートに腰を下ろすと、アナウンスとともに新幹線が動き出した。
夕方の車内には出張帰りらしき会社員や、親子連れなどがまばらに座っており、どこからともなくお弁当の匂いが漂ってきた。
食事するならいまがチャンスだなと思ったけれど、なんだか食欲が湧かない。ホームの売店で適当に買った缶チューハイを流し込みながら、窓の外に目をやる。
猛スピードで流れていく風景は、確実に一日の終わりへと向かっていた。
でも、ぼくの一日はまだまだ終わらない。
ひどく憂鬱な気分になった。
Twitter:@igarashidai0729