中国で羊のスープだった「羊羹」が、日本で甘いお菓子になったトンデモな経緯/毎日雑学

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公開日:2021/2/18

中国で羊のスープだった「羊羹」が、日本で甘い菓子になったトンデモな経緯/毎日雑学

 今回は羊羹(ようかん)にまつわる雑学を紹介します。

 羊羹は代表的な日本の和菓子ですが、実は元々は中国から伝来したものだってご存じでしたか?

 しかも、中国の羊羹は日本のものとは異なっていて、そもそも甘いお菓子ではなくスープ料理だったのです。

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 それでは、なぜスープ料理である羊羹が日本に伝わった結果、甘い和菓子として変化していったのでしょうか?

羊羹の語源と由来

 羊羹が日本に伝来したのは鎌倉時代以降のことであり、中国から禅宗と共に日本へ伝来したと考えられています。

 また、中国の羊羹は羊を煮込んだスープ料理のことだったため、現在の日本の羊羹とはかなり異なった食べ物でした。

 そもそも、羊羹の「羹(あつもの)」という漢字には「熱い煮汁」といった意味があり、汁物を指す言葉でした。

 そのため、中国では「羊の羹(あつもの)」が語源となって、羊肉のスープ料理が羊羹と呼ばれていたのです。

なぜ羊羹がお菓子になった?

 羊羹が伝わった当時の日本では、仏教に影響によって基本的に肉食が禁止されていました。

 現在では当たり前のように肉を食べていますが、肉を食べるようになったのは明治維新以降です。

 そして、羊羹には羊の肉が使われていることから、仏教の影響で食べることができなかったのです。

 そのため、肉の代わりに小豆を羊の肝の形に似せて蒸しあげたものスープに入れたことによって、日本風の羊羹が誕生したのです。

 やがて、小豆を蒸しあげたもの自体が和菓子としてお茶と一緒に出されるようになり、これが現在の日本の羊羹の原型となりました。

羊羹の語源には諸説ある

 ここまで解説した羊羹の語源が有力な説とされていますが、実は他にも語源が存在しています。

 実は中国にも和菓子の羊羹によく似た甘いお菓子があります。

 それは「羊肝こう(ようかんこう)」、または「羊肝餅(ようかんもち)」と呼ばれていています。

 これは小豆に砂糖を加えたものを羊の肝の形に成形して、蒸しあげたお菓子のことです。

 この「羊肝こう」「羊肝餅」が日本に伝わったことによって「ようかん」となったという説です。

 どちらの説が正しいかは定かではありませんが、どちらの説も中国から伝わったということは共通しています。

煉羊羹の方が後に登場した

 おそらくほとんどの人が羊羹といえば「煉羊羹(ねりようかん)」をイメージするかもしれません。

 しかし、煉羊羹が初めて作られたのは江戸時代後期のことであり、蒸し羊羹の方が歴史が古いのです。

 先ほども軽く解説しましたが、羊羹はもともとは小豆を羊の肝の形に似せて蒸しあげたのが由来で誕生しました。

 そのため、元祖の羊羹といえば「蒸し羊羹」であり、現代でよく食べられている「煉羊羹」は後になって考案されたものなのです。

 ちなみに、煉羊羹は寒天を多く入れて固めた羊羹であり、寒天の量を抑えて作られたものが水ようかんと呼ばれます。

 以上が「羊羹の語源と由来」についてでした。

 

まとめ

 羊羹は鎌倉時代以降に中国から伝来したものであり、中国では羊肉を入れて煮込んだスープ料理のことである。

 当時の日本では仏教の影響から肉を食べることが禁じられていたため、代わりに小豆を羊の肝の形に似せて蒸しあげたものを汁物に入れていた。

 やがて、小豆を羊の肝の形に似せて蒸しあげたもの自体を羊羹と呼ぶようになり、茶菓子として出されるようになった。

 他にも、中国の「羊肝こう」または「羊肝餅」と呼ばれるお菓子が日本に伝わり、羊羹となったという説も存在している。

※提供している情報には諸説ある場合があります。ご了承ください。

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