「努力も反省も、怒りや悲しさから始まると思うの」過去を呪い、卑屈になっていたミチコに、ママは続けて…/悪魔の夜鳴きそば④

文芸・カルチャー

公開日:2021/2/22

「ま、こんな奇想天外な経歴や肩書きに騙されて、なんとなくお説教を鵜呑みにするのもダメよ。あたいの言ってることを疑いつつ、自分で考えて取り入れるの」

「はーい」

「さて、じゃあ2つほど、ここで注意点を言っておこうかしら。これからのあんたとあたいの学びのための注意点よ」

「これからって?」

「だってもうそろそろ終電よ? 今日はお開きにしないと」

 腕時計を確認する、確かにあと15分で終電が来る。

「でも、まだまだ話すことあるでしょう? だからあんた、今後足しげくこの店に通って、ラーメン代を落とし……ゴホン、うふん……悩みを落として行きなさい」

「なんか途中、本音出てなかった?」

「そう? さて、じゃあ一緒に人生について話し合うための注意点。今日はこれも覚えて帰りなさい。いい?」

「うん」

 私は手帳を用意する。

「別にメモしなくていいわよ。くだらないことだから」

 どっちやねん、と思いながらも、私はメモを鞄にしまった。

「いい? さっきみたいにすぐに答えを迫ってくる選択って多いと思うの。『幸せになりたい?』ってあたいが聞いたやつね。でもね、たかが小1時間、見ず知らずのオカマの話を聞いて感化されたほうが、あたいは心配になる」

「まぁ、そうだね……」

「だからこういう答えは、とりあえず見せかけだけの答えで返していいし、正直にまだ解答を持っていないと言ってもいい。《すぐに結論を出すのはダメ》ってこと」

「……うん」

「それと最初にも聞いたでしょう? 幸せになりたいには2種類の欲があるって。まるで自分で幸せになるか、人に幸せにしてもらうか、どっちかしかないように聞こえたかもしれないけど、人生は白黒はっきりしないことも多いし、二元論なんかでもない。

 幸せなんて誰だって自分でつかめるし、誰だって人からもらってる。その程度ほどしか違いはないの。だから、答えも無限にあるってわけよ。

 というわけで《白黒つけることが正しいわけじゃない》《程度も考慮に入れる》ってことを覚えていって。それだけで話し合いも、読書も勉強も、そして仕事も人間関係も、つまり、自分の外の世界とかかわる営みすべてが、グッと楽になる」

 私は、それらを心の中に記した。

 

「ごちそうさま」

 ラーメン1杯700円。お勘定して私は席を立つ。

「――ねぇママ、今日話してくれたことって、例えば自己啓発書や就活セミナー、職場の勉強会なんかだと、わりと真逆のこと聞かされてきたから、ちょっと驚きかも。

 今まではどれだけ自分がダメで焦らなきゃならないかみたいな話ばっか聞いてさ、なんも誇れない人生だったって凹んでたけど。気は楽になったかな。あとなんかちょっと、ズルく生きるコツが見えてきた気もする」

 私は笑いながらそう伝える。

 もちぎママは寸胴の火を止めながら、フッと一笑する。

「まぁそういう自己啓発書とかセミナーもいいものはいいんだろうけどね。でもまずは自分がやるべきことや、今の自分に満足してからじゃないと、しんどいだけよ、それに……」

 ママはこちらをちらっと見た……。

「あくまでも、あたいはただの屋台そば屋だからね。悪いことばっか教えるわよ」

「えー、楽しみ」

 酒の回った2人でケラケラと笑う。

「さてと。また明後日と明々後日はオープンするから、退勤時間に余裕あるならいらっしゃい」

「じゃあ、明後日来るね。予約って必要?」

「美容室じゃないのよ。フラッと腹空かせて来なさい」

 私はもちぎママに手を振って、駅へと駆け出した。

 確かに、人間はそう一瞬で変わったりはできない。

 だけど、どうしてだろう、少し足取りは軽かった。

 凹むのと同じように、弾むことがあるのも人間なんだな。当たり前だけど、これからはまわりの人間を見る目も変わるかもしれない。ただ見せ方がうまい人間も、ただ今だけ気分がいいだけの人間もいるのだから、ひるむことはない。

 私、幸せになってやるぞ。

悪魔の夜鳴きそば

悪魔の夜鳴きそば

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