「わたしと祐くんののろけ話を、奥さんが読む…?」スリルと快感に、ゾクゾクが止まらない/気がつけば地獄④

文芸・カルチャー

公開日:2021/5/4

気がつけば地獄』から厳選して全6回連載でお届けします。今回は第4回です。『レタスクラブ』での大人気連載がついに書籍化! 薄氷の夫婦関係、許されぬ恋、ありえない友情――その友情もその愛も、決して芽生えてはいけなかった。冷え切った関係の夫婦の前に現れたひとりの女。一体彼女は何者…? 予測不可能、衝撃展開のサスペンス!

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気がつけば地獄
『気がつけば地獄』(岡部えつ/KADOKAWA)

 サニーが反応した!

 うとうとしかけていたのに、通知を知らせる音に飛び起きちゃった。

『はじめまして、ナナさん。リプとフォローをありがとうございます。宅配便の誤配達なんて、わたしは今まで経験したことがなかったので、びっくりしています』

 コメントだけじゃなくて、フォローバックもしてる。つまり、わたしたちは相互フォローの関係になった。ということは、今後は彼女のタイムラインに、わたしのつぶやきが表示される。わたしと祐くんののろけ話を、あの人が読むのだ。想像しただけで、ぞくぞくしてくる。

 彼女は「サラリーマンの夫と幼稚園児の息子を持つ主婦」という馬鹿正直なプロフィールで、日常生活をつぶやいてる。さかのぼって読んでみると、つまらないツイートばかりだ。もっと、夫への不満とか悪口とか、リアル生活では隠している本音というか、黒いものを期待してたのに、家族のことはあまり書いてなくて、料理や美容のこと、世の中の話題についてなど、お行儀のいいことばかり書いている。匿名アカウントのくせに、何かっこつけてるんだろう。

 まあ、わたしも人のことが言えた義理ではない。「丸の内で働くOL。婚約中の恋人あり」なんて大嘘のプロフィールを掲げて、祐くんのことを「恋人Y」なんて呼んで、ハッピーなできごとだけ切り取って書いているんだから、かっこつけているのは同じ。だけど、つぶやいている内容は、本当のことばかりだ。祐くんと一緒に食べたもの、行った場所、彼がくれたプレゼント、言ってくれた褒め言葉、これからの約束も、エッチなことだって、全部本当。ただ、素敵なデートのあとに彼が奥さんと子供が待つ家に帰ってしまうことや、土日にはメールも電話もできないことや、クリスマスやバレンタインデーは一緒にいられないことなんかは、書かないだけのこと。

 でも、だからってどうなの。SNSなんて、みんな都合のいいことしか書かない。何枚も撮った写真から、写りのいいのだけを選んで載せてる。そうしていいところだけを書き続けていくうちに、本当に自分がワンランクもツーランクもアップしたみたいな気持ちになって、元気になれるんだから、いいじゃない。

 それにわたしは、祐くんとのことを、悪いことをしているなんて、ちっとも思ってない。世間がどう罵ろうと、わたしはただ、一人の男の人と出会って、その人から口説かれて、いいなと思ったからそれに応えて、つき合ううちに本気で好きになっただけ。不倫不倫とキーキー言ってる人たち一人一人の、胸ぐらを掴んで言ってやりたい。あんたたちだって、そうやって恋をして結婚したんでしょ、何が違うの、って。

 祐くんが、わたしがすっかり恋に落ちちゃってから結婚していることを告白してきたのは、ひどいしずるいし許せないと思うけど、わたしたちは今、多くの時間を一緒に過ごしてる。その時間の分だけ、愛は育ってる。普通の恋人同士と、何も変わらない。

 ひとつだけ違うとしたら、隠さなくちゃならないこと。正々堂々と愛し合っていると胸を張って言いたいのに、彼が結婚してるってだけで、わたしたちの関係は表に出せない。デートをしていても、明るい通りでは手も繋げない。人に訊かれても、恋人がいるとはっきり言えない。

 しんどいのは、仲のいい友人たちにも黙ってなきゃならないこと。全員が独身だった頃には、既婚者との恋は盛り上がる話題だったけど、今やみんな妻か婚活中の身で、目線は完全に「奥さん」だから、こんなことを迂闊に打ち明けたりしたら、総攻撃されるに決まってる。

 サニーのツイートをスクロールする手を、止められない。少しでも祐くんのことをつぶやいていないか、目はそればっかり探している。でも今のところ、祐くんに関わるものは『家族で遊園地へ行ったけど、雨に降られてさんざん』というのと、『息子が父の日に幼稚園で描いた絵が、おばあちゃんにそっくりで驚いた』の二件しかない。

 頭の中に、甘い妄想が満ち溢れてくる。奥さんは、かっこつけてるんじゃない。わざと書かないんだ。それは、祐くんが家の外でわたしと愛し合っていることを、知ってるから。「安石鹸の匂いがする」なんて言ったのは、勘づいている証拠。奥さんは惨めで、だからせめてツイッターでは完璧な円満家族の奥さんを演じたいんだ。そうやって現実の不幸を癒やしてるんだ。

 そう思ったら、幸福の象徴のような向日葵のアイコンも、なんだかしょんぼりして、かわいそうに思えてきた。

 ねえ奥さん、あなたにだって、プライドというものがあるでしょう? だったら、あんな不実な夫なんかとは別れちゃえば? わたしと祐くんは、本当に心から愛し合ってて、お互いになくてはならない存在になってるんだから。祐くんは「割り切った関係」なんて言ってるけど、会うたびにわたしのことを好きになってる。一緒にいればわかるの、わたしもそうだから。なのにあなたと離婚しようとしないのは、子供もいて、家庭に責任があるから。祐くんて、そういう優しい人でしょう? 悔しいけど、わたしには、彼のその責任感を打ち砕く力まではない。唯一の望みはね、あなたが愛想を尽かして、祐くんを捨ててくれることなの。

 向日葵のアイコンに向かって心の中でそう話しかけながら、返信コメントを打ち込む。

『サニーさん、フォローバックありがとうございます。大切なお買い物の品、早く戻るといいですね』

 そしてそのあと、自分のツイートを書く。彼女が読むところを想像しながら。

『Yが、仕事帰りにうちに来た。急に来るから困っちゃったけど、あり合せで夕ご飯を作ってあげたら、すごく美味しいって褒めてくれました♡ そのあとは、ラブラブ♡』

 嘘じゃない。全部本当のこと。

<第5回に続く>

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