人生というものの最初のイメージは母さんの言葉から。「どんどん、泣いたらいんだよ」/84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと②

文芸・カルチャー

公開日:2021/5/12

84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』から厳選して全4回連載でお届けします。今回は第2回です。作家・辻仁成氏が自身の母の半自叙伝を、豪快な秘話とともに書き下ろした泣き笑いエッセイ集。心に響くとツイッターで大反響! 母の愛と人生訓にあふれた一冊です。

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84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと
『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』(辻仁成/KADOKAWA)

旅は人生の道標

 その後、ぬくぬく幸せだったぼくは自分の居場所をなにかに奪われることになる。

 ぼくには二つ年の離れた弟、つねひさがいた。

 ある日、気が付くと、そいつが、そこにいたのだ。

 そうだ、つねひさを背中におんぶしていた母さんの記憶が残っている。

 あるいは、その時の記憶を通して、ぼくは自分の赤ん坊だった頃の思い出を捏造したのかもしれない。

 その光景を強く思い出すことができる。見上げるぼく、聳える母さん、そしてその背中で幸せそうに寝ている弟……。

 なぜか、それも冬の日の記憶であった。

 母さんはもわもわのセーター(もしかしたら手編みのセーターだったかもしれない)を着て、弟をおんぶしながら、ぼくになにか大切なことを語りだした。

 物心がついた時に、最初にぼくに語りかけてくれたのは父さんじゃなく母さんであった。

 ぼくが弟にやきもちを焼いて泣いた時に、母さんが笑いながら、こんなことを言った。

 その言葉たちはぼくの耳から侵入し、ぼくの頭の中に居座った。

 それは結構長いこと、ぼくが大人になった今でもずっと、ぼくの中に焼き付いて離れることがない。

 それほどにインパクトのあるメッセージであった。

「ひとなり。よ〜く覚えておくといいよ。人間はいっぱい泣いて、大きくなる。総理大臣であろうと、偉いお坊さんであろうと、泣かないで生まれてきた人間なんかいないんだよ。だから、泣いてよし。泣くのは、自分があるという証拠なんだ。ここにぼくがいる、ぼくのこころがあるよ、と伝える大事なメッセージでもある。どんどん、泣いたらいいんだよ。これからの人生、いろいろなことがあるんだからね。悲しいね、それが人生というものだ」

「じんせいってなに?」

 母さんは背中にいる弟を気遣いながら、こう告げた。

「泣くこと、笑うこと、起き上がること、食べること、うんちをすること、好きになること、嫌いになること、走り回ること、けんかすること、仲直りすること、怒られること、悟ること、考えること、くじけること、立ち上がること、許されること、もちろん許すこと、みんなで生きること、そして眠ることだよ」

 その時、ぼくは全部を理解できたわけじゃなかった。

 でも、なんとなく人生というものの最初のイメージを摑むことができた。

 もしかしたら小説家という職業を選ぶ何某かのきっかけも、この時の母さんとのやりとりが影響していたのかもしれない。

 へ〜、それが人生か、と思った最初であったし、ぼくという人間がなんだかわからないけれど生きることの意味みたいなものを朧げに考えはじめた、それがまさにその最初の瞬間でもあった。

 

 母さんはその一つ一つについて語りだした。

 ちなみに、ぼくは母さんのことを当時、つまり幼少期にママと呼んでいた。

 いや、高校生くらいまで、ずっとママであった。

 たぶん、ママから母さんに移るタイミングで、ぼくは大人になったのである。

 

 母さんがぼくに、悲しい気持ちについて語った時があった。

 これもあまりに昔のこと過ぎてはっきりと具体的に覚えているわけじゃないが、たとえばぼくが大泣きしていると、ぼくの目の高さに母さんはしゃがみこんで、ひとなりはなんで泣いているのかわかってるの? と訊いてきた。

 泣いている子に向かって、なんで泣いているのかわかってるかって?

 それはとっても奇妙な質問じゃないか。

「だって、ぼく、悲しいんだもの」

 とぼくは泣きながら反論した。

 すると母さんはぼくを抱きしめ、悲しいという気持ちはとっても大事なんだよ、とこれまたおかしなことを言いだした。

「悲しいという気持ちは人間を成長させる。悲しいと思うから人間は悲しくならないようにいろいろ考えて行動するようになる。ひとなりは今、悲しいと思った。それはどうしてだと思う?」

 ぼくは、え? と思わず泣くのをやめて考えこんでしまう。

 そして、どういうこと? と訊き返してしまった。

「ひとなり、お前は今、どこが悲しいの?」

「どこって……どこかな」

「頭の中が悲しいの?」

「うん。でも、頭だけじゃない。もっと全体」

「そうでしょ? 頭だけが悲しいんじゃないんだ。頭は考えたり、悩んだり、ぼんやりしたり、痛くなったりする場所で、悲しくなる場所じゃない。悲しくなるところは別にある」

「どこ?」

 母さんはなんとなく、ぼくの胸のあたりをばくぜんと指さし、

「どこにあるのか、誰も知らないけど、母さんはこの辺かな、と思うけど、どう?」

 と微笑みながら告げた。

 なんとなく、胸のあたりが悲しいと思っていたので、うん、とぼくは同意した。

「お医者さんにこころはどこにあるの、と聞くとね、だいたい、頭、と言うよ。それは正しいけど、ほんとは頭じゃない。こころが悲しんでるのを頭でわかっているだけだ。お医者さんたちは、こころは頭だと思っているんだよ」

 その時、ぼくの目に、母さんはどのお医者さんよりも偉い人に映っていた。

 悲しい時、頭の中で悲しいという記号に変わるから、もしくは言語に変わるから頭が悲しいのだと人は思うのだろう。

 でも、こころは記号じゃない。

 じゃあ、なぜひとなりは、悲しいのかな、と母さんは優しい笑顔で続けた。

「それはね、自分の思い通りにならなかったからだよ」

「おもいどおりってな〜に?」

「つねひさばかりがおんぶされて、自分はおんぶされないので、なんかママに冷たくされたと思ったんだろ? それで涙が出た」

 ぼくは、思い出して、うん、と再び涙を浮かべ直しながら頷いた。

「自分がこうしてほしいと思うことがその通りにならないことを、思い通りにならない、と言う。おんぶされたいのに、つねひさばかりがおんぶされるから、ママに冷たくされたと思ったんだろ?」

 ぼくは思い出してまた泣き出してしまった。ぼくが泣いているのに、母さんは笑っていた。そして、頭を優しく撫でてくれた。

「ひとなり、なぜなら、つねひさはまだ生まれたばかりで自分ではなにもできない。だから、ママがおんぶするしかないんだよ。お前はつねひさより2年も先にこの世界にやってきた。だからお兄ちゃんと呼ばれている。今まで自分がおんぶされていたのに、今、その場所をつねひさに奪われてしまった。ママがつねひさばかり可愛がっているように思えてしょうがないんだ」

 ぼくは号泣した。

 母さんはぼくの涙を拭ってくれた。

「でもね、ひとなりもずっとこうやっておんぶされていたんだよ。人間には順番がある。お前の方が先に生まれてお兄ちゃんになったんだから、今度は弟のために我慢しなきゃならない。なぜなら、ママは一人しかいないからだ」

「そんなのやだ〜」

 とぼくの号泣はおさまらない。

 窓ガラスが揺れるくらい大きな声で泣いたものだから、母さんの背中ですやすや寝ていた弟までが泣き出してしまった。

 でも、母さんは怒らない。笑っている。

「だから、泣いてイイんだよ。泣いて泣き疲れた時に、お前はちょっとだけわかることがある。自分がお兄ちゃんなんだってことだ。そしたら、よし、弟の面倒をみなきゃって思うようになる」

「思わない! わかりたくない! ぼくもおんぶしてほしい」

「その気持ち、悲しいという気持ちを人間はずっと持っていかないとならない」

「なんで?!」

「それが人生だからだよ」

 ぼくはヒクヒクしながら、じんせいなんか嫌いだ、と吐き捨てた。

 母さんがぼくを抱きしめてくれた。

 母さんの背中で赤ん坊が大声で泣いていた。

 自分よりも小さな生き物だった。

 こいつが母さんを奪ったのだ、と憎たらしくてしょうがなかった。

「ひとなり、いっぺんにわかろうとしなくていいよ。今、覚えておくのは、泣いてイイということ。泣くのは悲しいから。悲しいという気持ちは時々やってきてお前をそうやって泣かすけど、それは長い人生においてとっても大事なことでもある」

 弟が泣きやんだ。母さんが身体を少し捻って、つねひさの顔をぼくに見せてくれた。

「よく見ておきなさい。この子がお前の弟だ」

 ぼくが睨みつけると、その猿みたいな顔が面白かったのか、猿みたいな弟が笑った。

 これがぼくの弟なのだ、とぼくはその時、悔しかったけれど観念することになる。

 

ひとなり。いらいらしてこころが安定しないのは、
期待するから、信頼しないから、疑い続けるから、
人任せにするから、相手のせいにするから、
希望を侮るから、自分の可能性を信じないから、
愛をなおざりにするから、しがみつくから、
ご先祖に感謝しないからだよ。

<第3回に続く>

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