江戸時代、初鰹の価値はどれくらいだった?/日本の食べものクイズ<雑学大王 日本史編>

暮らし

公開日:2021/7/12

【答え】×

【解説】
江戸っ子と「初鰹」には、切っても切れない関係がある。干すと堅くなることから、堅魚(かたうお)といわれ、それが鰹と呼ばれるようになったという。しかし、初夏の四月に出回る初鰹はかなり高価だった。湘南や伊豆が漁場の鰹を、八丁櫓の船に積む。夜明けに日本橋の魚河岸に着くと、それを待ち構えている鰹売りが、町々を走って売り回るのだから、高いはずである。それでも人々は先を競って初鰹を食べるのを自慢にしていた。もちろん、鰹売りも心得たもので、一本の鰹を分け売りしていた。食道楽だった滝沢馬琴(たきざわばきん)も、日記に「今日、初鰹片身買い」と記しているくらいで、初鰹はとても高額だった。出盛って、一本が一分(約二万円)あたりになると、少しずつ買い手が出てくるが、庶民が口にできるのは、もっとあとになる。秋になれば鰹は庶民にも手の届く値になったから、初物好きの江戸っ子が、初鰹の値を上げてしまったといえるのである。

雑学総研

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