クライアントのもとへ向かう弁理士の大鳳未来。電機メーカー・亀井製作所からの依頼とは?/特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来①

文芸・カルチャー

更新日:2022/3/3

第20回『このミステリーがすごい!』大賞・大賞受賞作。南原詠著の書籍『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』から厳選して全5回連載でお届けします。今回は第1回です。「特許侵害を警告された企業を守る」ことを専門とする“特許法律事務所”を立ち上げた凄腕の女性弁理士・大鳳未来。今回のクライアントは、映像技術の特許権侵害を警告され活動停止を迫られる人気VTuber・天ノ川トリィ。そして、さまざまな企業の思惑が――。真の目的を明らかにするため弁理士・大鳳未来が挑む! 現役弁理士が描く企業ミステリー小説。ホテルから急いで軽自動車を飛ばす弁理士の大鳳未来。向かっているのは三重県の電機メーカー亀井製作所。一方クライアントの社長・亀井道弘は、特許侵害の件で皆川電工の社長・皆川竜二郎と手下に取り囲まれていた…。

特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来
『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』(南原詠/宝島社)

第一章 強奪する側から守る側に鞍替え

 1

 三重県多気町の経済は、《シャープ》の中小型液晶テレビ工場が牽引している。

《亀井製作所》─シャープに比べたら泡沫のような規模の電機メーカーだが─も、多気町に液晶テレビの工場と倉庫を構えている。

 大鳳未来は、カーシェアサービスで調達した軽自動車を飛ばしていた。目的地は亀井製作所の倉庫だった。

 国道四二号線を走りながら、未来はバックミラーを、ちらっと眺めた。

 ゆるく波打つ、肩に掛かる髪。ホテルを急いで飛び出したせいで、ぶわっと広がっている。前髪の下では、双眸が怒りで血走っている。頬は紅潮している。

 おまけに、特許公報と審査経過、あとネットの諸々の情報を徹夜で読み込んでいたせいで、肌は荒れていた。

 ナビが亀井製作所・多気町工場の外観をディスプレイに表示した。未来はハンドルを切った。

「警告書を送った次の日に相手に殴り込む特許権者なんて初めて聞いた。普通の特許紛争はもっと何か月もかけてゆっくり進むもんよ。相手はよほど切羽詰まっているのね」

 ぎゃぎゃぎゃ、とタイヤが悲鳴を上げた。

 倉庫の近く、適当な敷地内に未来は自動車を駐めた。

 道路沿いに先客の車が三台、駐まっている。一台はバックシートが作業道具で埋まった白いバン。一台は荷台の側面が大きく凹んだ軽トラック。最後に、ぴかぴかの黒塗りのベンツ。

 未来はベンツを睨みつつ自動車から降りた。倉庫に向き直り、今度は自分の足で全速力で走る。

 倉庫の広さはおよそ三百坪。スライド式の錆付いた搬入扉が半開きになっている。

 中から怒号が聞こえた。

 扉を両手で思いっきり開け放つと、薄暗かった倉庫の内部に光が差し込んだ。

 平べったい段ボールの箱が天井まで積み上がっている。液晶テレビの在庫だろう。

 中央には、白いスーツに赤いシャツを着た、長身で白髪の男性がいた。

 未来はすぐに、男が《皆川電工》の社長、皆川竜二郎だと気づいた。

 皆川の腕が、小太りの男の首を絞め上げている。亀井製作所の社長でありクライアントの亀井道弘だ。

 亀井は、皆川の手下たちに囲まれていた。ざっと数えて十人。皆、目つきは悪いが服装は水色の作業着姿だった。皆川電工の従業員だ。

 皆川が、わざわざ強面の従業員を選んで連れて来た可能性が高い。

 一方で亀井の背後には亀井製作所の従業員が三人いる。皆、恐怖に顔を戦慄かせていた。

 未来は即座に叫んだ。

「亀井さん、無事ですか。死ぬなら代理人手数料を支払ってからにして下さい!」

 皆川サイドも、亀井サイドも全員が振り向いた。

 亀井が半ベソで叫び返した。

「大鳳先生、助けてください。皆川さんが乗り込んで来たんです。姚愁林先生にも電話とか連絡を取ろうとしたんですが、繋がらなくって」

 どさっと、音がした。亀井が地面に崩れ落ちた。

 皆川は、亀井の首を掴んでいた右手をゆっくりと下げた。

 こちらを睨みながら、皆川はじわり、じわりと未来に近付く。

「生意気にも、亀井が代理人を雇った話は聞いている。特許侵害が専門の特許事務所なんだってな。おい、亀井! 俺らの技術を土足で踏みつけるような真似をしておいて、人を雇って言い訳をさせるとは大したもんだ」

 眼光を飛ばした気なのか知らないが、未来は、しれっと挨拶をした。

「亀井製作所側の代理人を務めます《ミスルトウ特許法律事務所》の弁理士、大鳳未来です。特許侵害を警告した、皆川社長で間違いありませんか」

 未来は、ハンドバッグから名刺入れを取り出した。

 名刺を、ぴらっと差し出す。名刺を一瞥した皆川は、ゆっくりと視線を未来の顔に上げた。

「弁理士? 弁護士じゃねえのか」

「弁護士は、争い事ならなんでも担当できます。スペシャリスト、というよりゼネラリストですね。でも特許権に関する話なら弁理士がスペシャリストです。話し相手として不満ですか」

 皆川は、顔に「いずれにせよ不満」とマジックペンで大書きしたような表情で答えた。

「亀井んとこのメタボ社長はな、こっちが特許侵害だってわざわざ教えてやったってのに無視しやがんだ。だから仕方なく俺が出向いてだ、わからせてやろうと思ったんだよ」

 未来は「ふっ」と、鼻で笑った。

「亀井さんは昨日の夕方、我々に電話で相談されました。三重県には、まともに対応できる特許事務所も法律事務所もなかった。だから、わざわざ東京の我々に連絡したんでしょう。我々も夜中に急いでセントレア空港に到着しました」

 ごほごほ、と咳込みながら亀井が床から上体を起こす。

「嫌な予感がしたんです。でも、特許侵害で即日対応なんて法律事務所は大鳳先生の所以外になくって。あと、全国どこでも飛んで行くって─」

 皆川の怒号が響いた。

「亀井、てめえは黙ってろ! 俺はこの嬢ちゃんと話してんだ」

 亀井製作所の従業員は皆、声も出せないくらい顔面蒼白になっている。

 未来は腕を組み、皆川の長身を下から見上げた。

「聞けば、警告書の回答期限は三日後だとか。普通は二週間から一か月です。三日なんて短すぎます。おまけに警告した次の日に特許権者が自ら殴り込み? 前代未聞です」

 皆川は、のっぺりとした笑みを浮かべた。

「亀井にはな、再三、口頭で警告をしていたんだ。おい、やれ」

 皆川が合図をすると、皆川電工の手下たちが一斉に動いた。

 手下たちは積みあがった段ボールの一つを、乱暴に引っ張り出した。

 亀井が目を見開き、口を大きく開けた。

「やめてくれ! 昨晩、ラインから上がったばかりの三十二型だ!」

 亀井の叫びは無視された。皆川の手下たちは、鶏を絞めるような表情で段ボールを開いていく。

 黒く輝く、三十二インチの薄型テレビが姿を現した。

 かっと、未来の頭に血液が流れ込んだ。

「特許権者であっても勝手に触ることは許されません」

 皆川は、未来の目の前に堂々と立ちはだかった。

「心配するな。ぶっ壊そうなんて思っちゃいねえ。昨日の夜中の到着じゃ、まだ侵害品もきちんと確認できていないよな。俺は優しいんだ。今、侵害の証拠を見せてやろうってんだ」

 未来は、断固として怒鳴った。

「侵害品と呼ばないでください。訴訟で判決が確定するまで、誰も侵害品とは呼べません。まだ警告段階でしょう」

 手下たちは、テレビをスタンドに設置した。手下の一人が、どこからか延長ケーブルと青色のインターネットケーブルを手に戻って来る。

 殺風景な倉庫の中央に、亀井製作所製、三十二インチの薄型テレビが一台、鎮座する。

 皆川は鷹揚に振り向くと、顎をしゃくった。

 テレビに電源が入り、漆黒のディスプレイに亀井製作所のロゴが表示された。

 皆川が吐き捨てた。

「ロゴなんかどうでもいい。問題は、すぐ後だ」

 亀井製作所のロゴが消えるとすぐ、赤、黄、緑、青色で構成された円のマークが浮かび上がった。インターネットブラウザ、グーグルクロームだ。

 皆川が、罠に掛かった鳥を見るような表情で答える。

「見たよな。テレビの電源を入れた直後に、インターネットブラウザが起動した」

 部下の一人が、皆川にリモコンを渡した。

 皆川は、リモコンを操作しながら、続けた。

「何が問題なのか、わかるか? テレビ番組よりも先に、ブラウザが出るところだ。もちろん、続けてネットサーフィンだってできる。見ろ」

 皆川は、リモコンでクロームを器用に操作して、画面にニュースサイトを表示させた。適当なリンク先を適当に飛ぶ。一度も、テレビ番組は表示されない。

 ニュースサイトの『芸能・スポーツ』欄から、皆川は動画のリンクをクリックした。

《YouTube》のリンクが起動した。

 赤い、角丸の四角に白い三角形のマークのロゴが、クロームの左上に見える。

 ぱっと画面から眩い光が溢れた。

 テレビのスピーカーから、最近テレビで引っ切りなく流れる曲のイントロが零れた。テレビ嫌いの未来でも知っている曲だ。世間一般、いやアジア・パシフィックで広く知られている。

 画面には、渋谷のセルリアン・タワーの屋上からの夜景が映っていた。夜空には月だけで、雲は一つもなかった。

 イントロのギアが一段階上がったところで、カメラが夜空から屋上に下りる。

 画面が一瞬だけブレた直後、誰もいなかった屋上のステージに、金髪を二つに纏めた女性が立っていた。

 コンピュータグラフィックスだった。名前は、天ノ川トリィ、だったか。《VTuber》と呼ばれていた気がする。

 以前に何かの本で読んだ覚えがある。コンピュータグラフィックスで人を描く場合、方向性は二極化する。限りなく人間に寄せるか、限りなくアニメ的なキャラクタ感を追求するか。

 天ノ川トリィの造形は、人間に限りなく寄せられている。

 真紅のドレスにヘッドセットを装着した天ノ川トリィは、目を瞑ったまま足でリズムを取っていた。やがて全身でリズムを取り始めた。髪が風になびいている。

 作り立ての液晶だけあって亀井製作所の薄型テレビは、夜景もコンピュータグラフィックスも、4Kで微細に映しだした。

 亀井も亀井の従業員も皆川の手下も、現実を忘れて画面に没頭していた。

 イントロが最高潮に達したところで、天ノ川トリィが目を見開いた。

 画面が、ぶつっと暗転した。

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