ウォルト・ディズニー「自分の夢に名前を付けるとその夢が叶う」/天才たちの習慣100

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公開日:2022/5/11

 世に名を馳せた天才たちによる、「毎日実践していた習慣」や「日々思い描いていた人生哲学」、「経験から生まれたマイルール」などなど…。その「効果」「効能」を、『すぐに真似できる 天才たちの習慣100』(教育総研/KADOKAWA)からご紹介します!

ウォルトが理想とした遊園地に付けた「名前」

 ミッキーマウスやミニーマウス、ディズニーランドの生みの親として有名な、ウォルト・ディズニー。「My business is making people, especially children, happy.」(私の仕事は、人びとを、中でも子どもたちを喜ばせることだ)。これはウォルトの名言の1つですが、彼の人生はこの一言に集約されているのかもしれません。ミッキーマウスを生み出し、ディズニーランドの建設を進めたのは、子どもと親が楽しめるものをつくることが彼の夢だったからに他なりません。

『白雪姫』『ファンタジア』『ふしぎの国のアリス』など、最先端の技術で制作されたアニメーション映画で高評価を得、飛ぶ鳥を落とす勢いだったウォルトでしたが、ことディズニーランドの建設計画にいたっては、巨額な資金が必要になることから、彼のよき理解者であった兄ロイでさえ、当初は反対の立場にあったほどでした。

 しかし、ウォルトは自分の抱いた夢をあきらめることはありませんでした。

 なぜ彼は、実現が困難な自分の夢を叶えることができたのか?

 それは、彼が自分の夢に「名前」を付けていたからです。ウォルトが最初に抱いた夢は「子どもと親が同時に楽しめて、誰も見たことがない遊園地」の建設でした。そのため、彼はアメリカやヨーロッパの様々なテーマパーク、フェスティバル、カーニバルに足繁く通いました。そして、親切なスタッフや美味しい食べ物がある遊園地が彼の理想となりました。

 1948年、彼は夢の遊園地に最初に名前を付けます。それはディズニーランドではなく、「ミッキーマウス・パーク」といいました。

 その他、「ディズニーランディア」や「ウォルト・ディズニーのアメリカ」といった呼び名もあったようですが、4年後の52年、最終的に「ディズニーランド」に落ち着きました。

 では、ウォルトが自身の抱く夢に「名前」を付けたことによって、どんなことが起こったのか?

 一番は、ウォルトと周囲の人びとが、彼の夢を共有できるようになったということです。彼が「よりよい遊園地をつくりたい」ということは他の人も分かっていたでしょうが、どんな遊園地なのか、中身のイメージは湧きません。

 しかし、「ミッキーマウス・パーク」という「名前」あるいは「愛称」がひとまず付けられたことにより、「実物のミッキーマウスが園内にいる遊園地」というイメージを周囲の人びとと共有することができるようになったのです。この名前が生まれたことによって、建設計画に協力してくれる人も増え、55年、見事にディズニーランドが開園したのです。

 ディズニーは常々、成功するための第一歩はまず考えることだとし、それから信念を抱き続け、確信を持って前進することを説いていました。

 大胆な夢を抱きつつも、慎重に物事を運んだ先に、ディズニーランドのオープンがあったのです。

あのウォルトでさえ、成功と失敗の繰り返しだった

 1937年、ウォルトは『白雪姫』のプレミアショーが大成功を収めたことによって人生の絶頂にいましたが、その後は不幸や失敗の連続でした。

 翌年には母が悲惨な事故で亡くなり、40年発表の『ピノキオ』と『ファンタジア』は興行的に大失敗。41年には自社内でストライキが起こり、ウォルトは暴君と呼ばれて目の敵(かたき)にされました。そして、追い打ちをかけるように父が亡くなります。40歳頃のウォルトには不幸しか訪れなかったかのようでした。

 そんなどん底の状態にあった彼を救ったのが、長編映画『シンデレラ』の成功であり、ディズニーランドの建設だったといえます。ストーリー・アーティストのビル・ピートは、ウォルトが『シンデレラ』を撮らなかったら、ディズニーランドも、エプコットも、今日のディズニー・スタジオも存在しなかっただろうと語っています。

 1953年、ウォルトはテレビ局「ABC放送網」と契約し、35%の所有権と引き換えに同局から莫大な出資を受けることに成功。毎週、同局でディズニーランドの宣伝が放送されることによって知名度は抜群に高まり、アメリカでもっとも人気の高い観光名所となりました。

 ウォルト・ディズニーといえども、成功と失敗を繰り返しながら人生を歩んでいました。彼は夢について、こう述べています。

「誰だって、夢を叶えられる。夢を見て、叶えられることを信じ、努力すれば。だが、努力することはそれほど難しくない。なぜなら、とても楽しくて、努力している気にはならないから」(『ウォルト・ディズニーに学ぶ七転び八起き経営』パット・ウィリアムズ著、寺尾まち子訳(ネコ・パブリッシング))

【プラスα】仏教の教えとウォルトの信念
仏教の教えの中に「身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を浄(きよ)めよ」というものがあります。身体的な行ない(身)、言葉で表す行ない(口)、心に思う行ない(意)の3つの行ないを浄めなさい、ということです。「浄める」とは、清浄な状態にするということ。また、これには、それら3つの行ないに伴う結果も重視せよという教えも含まれています。ウォルトが夢を叶えるためにそれに名前を付け、人びとと共有したのは、そうすることで、夢を実現させるための覚悟を自分に抱かせた、ともいうことができます。

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