『ラブカは静かに弓を持つ』『怪談狩り 黒いバス』『沖縄のことを聞かせてください』編集部の推し本5選

文芸・カルチャー

公開日:2022/5/22


過去の過ちは上書きできない。自分から逃げない主人公とチェロのお話『ラブカは静かに弓を持つ』(安壇美緒/集英社)

『ラブカは静かに弓を持つ』(安壇美緒/集英社)
『ラブカは静かに弓を持つ』(安壇美緒/集英社)

 読み終わって、とてもシンプルなお話だと思った。

 わかりやすい、とか、単純明快だ、とかそういうことではない。人づきあいが苦手な青年が、音楽講師や同じ教室の仲間に仕事の都合で嘘をつき、罪悪感に苦しみ成長するお話。そのシンプルさゆえに、自分が傷つけたくない人を傷つけた過去の後悔や痛みを強烈に思い出して、主人公と同じく深海に潜りそうになった。

 チェロを幼少期に習っていたことから、とある事情で2年間も音楽教室に潜入することを勤務先に命じられた主人公。ある事件をきっかけにチェロから離れていたはずが、レッスンを担当する講師やレッスン仲間たちとの交流を通して、再びチェロの魅力にとりつかれていく。講師や仲間の存在が大きくなるほど、自らの立場に追い詰められていき――。

 人を信じることが苦手な主人公が、チェロのレッスンや仲間とのひとときを大事に思い始める描写を読むにつれ、“その瞬間”に向けて胸が締め付けられていく。やがて訪れるその時。音楽のクライマックスのように上昇し、やがて深海に向けて落ちていくような心地がした。

 どれだけ謝っても、誰かにしたことは取り返しがつかなければ、上書きすることもできない。ただ、失ってもまた積み重ねることはできる。後悔を引きずってもどうしても失いたくないのなら、自分の殻を打ち破るしかない。本作のメッセージはシンプルでつらくて苦しいけれど、だからこそ力強く感じるのだ。

宗田

宗田 昌子●実家の父は、定年後チェロをずっと習い続けている。幼い私を熱心にピアノのレッスンに通わせてくれ、中学の吹奏楽部でオーボエを担当すれば、中学生にとっては高価なリードを買ってくれた。どれも長く続けることができなかったが、今もまた私に音楽レッスンを勧める父。本作を読んで、気持ちがぐらついている。


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「怒り」によって駆動する、極上エンタメ小説。『爆弾』(呉勝浩/講談社)

『爆弾』(呉 勝浩/講談社)
『爆弾』(呉 勝浩/講談社)

 前々作の『スワン』、前作の『おれたちの歌をうたえ』が、ともに直木賞候補にノミネートされた呉勝浩さんの最新作『爆弾』。傷害事件で捕まった中年男・スズキタゴサクは、取り調べ中に都内で爆発が起きると「予言」し、実際にその後次々と爆発事件が発生する。取調室における刑事たちとの心理戦や、スズキタゴサクという理不尽な存在、事件の背景が、さまざまな思惑・立場の登場人物の視点で語られていく本作は、読者を巻き込む強烈な引力を備えた、読み応え十分のミステリーだ。

 本作の刊行にあわせて、ダ・ヴィンチWebでも呉さんにお話を伺う機会があった。印象的だったのは、呉さんの執筆の原動力の中で「怒り」が大きなウェイトを占めている、という話だった。何かにまい進する、ひたむきに打ち込む、たとえば仕事を頑張ることにしたって、「怒り」はわかりやすくエネルギーになる。かつてそういう時期を経験したことがあり、だからこそ「怒り」を原動力にし続けることはとても難しいことだと、感覚的にわかる気がする。呉さん自身は「初期衝動は薄れているので『ムカつかないと』って思います」とも語っていたが、『爆弾』を読むと、呉さんの怒りから生み出される作品が、きっと今後も読者を楽しませてくれるのだろうな、と思う。

 日々暮らしていて、喜びや幸せを感じる瞬間はたくさんある。一方で、自分が当事者であるかないかにかかわらず、世間には理不尽なことや怒りを感じる出来事もある。後者に向き合ったときに覚える感情は、呉さんの作品の中にも埋め込まれている。だから呉さんが書くものはとても信頼できる、と感じるのだ。

清水

清水 大輔●編集長。愛する柏レイソルがクラブ創立30周年を迎え、ホームで記念マッチを開催した。しかし何度もチャンスを潰し、ノーゴールで敗戦。昨年から不甲斐ない試合が多く、TVの前で「怒り」を感じたが、30年見てきた楽しい記憶が消えることはない。適度な怒りも必要なのかも? でも、やっぱり記念マッチくらい勝ってほしい…。