『宙わたる教室』原作・伊与原新の直木賞受賞作『藍を継ぐ海』。とほうもない数のがれきが残された空き家…そのワケとは【書評】
更新日:2025/1/21

地質学者の女性がフィールドワークに訪れた島で、窯焼きに使われるある土を探している男に出会う……という、あらすじだけを聞くと、なんだか堅苦しい話のように感じられるかもしれない。不思議である。火山や隕石、宇宙といった言葉には、多くの人が聞くだけでわくわくさせられるようなロマンがあるのに、それを知るための科学はなんだか難しそうで敬遠してしまう。でも、表裏一体の科学とロマンを同時に味わってこそ、物語はふくよかに広がっていくのだと、NHKドラマ『宙わたる教室』の原作者・伊与原新さんの直木賞受賞作『藍を継ぐ海』(新潮社)は描き出してくれる。
冒頭のあらすじは本作に収録されている一作目の短編「夢化けの島」のもの。舞台は、山口県の見島。萩焼に使われたという伝説の土を探し求めるあやしげな男に、なりゆきで同行することになった地質学者の歩美は、「科学って、何でもわかるんだな」と言われてこう答える。「まだまだわかんないことだらけですよ。それに、今わかっていることだって、たくさんの研究者が長い時間をかけて、ちょっとずつ明らかにしてきたんです」。
長い時間をかけて、ちょっとずつ。それはこの作品に通底する、一つのテーマだ。望んだ答えや成果が手に入らないかもしれなくても、諦めずに愚直に向き合い続ける人たちの姿が、収録される5編の短編すべてに登場するが、対比して描かれるのは、日常に行き詰まりを感じている人たちが殻を破って一歩先へ足を踏み出そうとする姿である。共通しているのはみんなうっすらと「人生なんてこんなもの」と諦めを抱いているところ。
たとえば、いちばん印象に残っている「祈りの破片」。長崎県の長与町役場職員である主人公・小寺は、就職したてのころこそ「地元のために」という想いを抱いていたけれど、徹底した前例踏襲主義、つまり何も変わろうとしない職場に染まり「余計なことをしない、考えない」かわりに得られる安定に身を沈めている。けれど、とある空き家でとほうもない数のがれきを発見したことで、少しずつ心が揺り動かされていく。
そのがれきはすべて、原爆投下直後の爆心地から拾われてきたものだった。拾ってきたのは、みずからも被爆しながら、残りの人生すべてをその収集に懸け、原爆の正体をつきとめようとしていた男。人知れず死んでいった彼の人生の片鱗に触れ、小寺は思う。〈時は経ってしまったが、その人生を見届けようという人間が、一人ぐらいいてもいい〉。そしてその人生を追ううちに〈長い時間をかけて、ちょっとずつ〉がもたらすものの大きさを知っていくのだ。どうせ何も変わらない、ではなくて、何かが変わるかもしれないと信じて、些細なものを拾い集めて検証していく作業がどれほど大切なのかということを。
一つひとつの短編につながりはないが、実在の土地を舞台に描かれる5編を読み終えると、私たちは地球の大地と、そこに降り積もる歴史のなかに生きているのだな、と深々実感させられる。ちっぽけに見える私たちの人生もまたその一部で、何かの役目を負って継いでいく存在なのだと、説得力をもって信じられるのはやはり、物語の核に“科学”があるからだ。その揺るぎなさをもってして、未だ解明しきれないこの世界のおもしろさを、わきたつ好奇心を、伊与原さんの小説は私たちに与えてくれる。
文=立花もも