伊坂幸太郎、デビュー25周年記念の書き下ろし短編! 『西遊記』を模した小説に託された、「人と物語」をめぐる1冊『楽園の楽園』【書評】
PR 公開日:2025/1/22

人は、納得できないことが苦しいし、「わからない」ことを恐れる。あまりの理不尽に怒りや悲しみがこみあげたとき、自分を納得させるために、わかりやすい物語をつくる。攻撃してもいい、責めてもいい、敵を定めて、抱えきれない感情をぶつけながら人々が暴走するさまを、私たちは何度も何度も目の当たりにしてきたはずなのになあと、小説『楽園の楽園』(中央公論新社)に触れて思った。伊坂幸太郎さんが、デビュー25周年を記念して書き下ろした、神話のような、寓話のような、不思議な読み心地の一冊である。
各国の都市部で起きる、大規模な停電。強毒性ウイルスの蔓延。頻発する大地震に、高速増殖炉からの放射能漏れによる人々の大移動。感染が拡大し、治安が乱れ、世界が終わるかと思われたその恐慌の、原因は〈天軸〉――「天災及び事故、犯罪の与件と予防に関する基軸」なるアルゴリズムを基にした人工知能の暴走だと言われていた。その暴走を止めたのは、人工知能の開発者である「先生」。世界が平和に戻ったと同時に行方不明になった彼女を探すために、派遣されたのが五十九彦(ごじゅくひこ)、三瑚嬢(さんごじょう)、蝶八隗(ちょうはっかい)という選ばれし3人。つまりこれは『西遊記』を模した物語なのだな、と誰もが想像したはずである。
『西遊記』で三蔵法師一行が釈迦の住む天竺をめざしたのは、そこに世が救われる手掛かりがあると信じたからだ。五十九彦たちもまた、先生が「楽園」と名づけて描き残した絵こそが、天軸を開発した場所であり、先生の居場所を示すものだと信じて旅を続ける。でも、三瑚嬢は言うのだ。〈ここは楽園だよ、と宣伝されている場所は、だいたい罠だからね〉と。
旧約聖書で、アダムとイブが楽園を追放される。それは、原罪という人が生まれながらに背負う罪を設定することで、生きているうちに理不尽な出来事に遭遇するのは「しかたがない」ことなのだと、人々に納得させるための物語に過ぎないのだとも、三瑚嬢は言う。それはつまり、楽園なんてどこにもない、ということではないだろうか。もっと正確にいえば、何の苦労もなく幸せでいられるだけの美しい理想郷なんて、どこにも存在しない。だけどその希望を捨てることができないから、私たちは物語にすがるしかないのだ。だからこそ〈科学だけが、物語に対抗できた。でもそうすると今度は、物語を成立させるための、偽の科学が出てくる。これからはずっとその争いだろうね〉という彼女の分析は、かなり、耳に痛い。
どんなに絶望をつきつけられても、むしろ追い詰められているときほど、人の脳は物語をつくりだすことから逃れられない。それこそが、本能に蝕まれたウイルスのようだと、彼らの旅に重ねながら思う。そのなかで、かすかに希望として光るのは、五十九彦がかつて教師から言われた言葉だ。〈厄介な相手も、敵とは限らない〉。

感情に吞まれ、現実を見誤ることがないように、私たちはいったいどんなまなざしで世界を見つめるべきなのか。井出静佳さんの色鮮やかで美しいながら考えさせられてしまう挿画、その解釈もまた、自分に都合のいい物語を生み出しているだけなのかもしれない。
文=立花もも